大ヒット作『STRAY SHEEP』収録曲

『カロリーメイト』CM曲としても話題に!

米津玄師【迷える羊】歌詞の意味を解釈!物語を待つのは誰?僕らの演劇が続く理由と羊が示すものに迫るの画像

記録的なセールスを叩き出した、2020年8月にリリースされた米津玄師アルバム『STRAY SHEEP』

今回ご紹介する楽曲は、本作にも収録の1曲『迷える羊』です。

アルバムタイトルの和訳を冠する、本作にとっても大きな意味を持つこの1曲。

米津玄師本人の出演も話題となった、『カロリーメイト』CM曲としても有名な楽曲ではないでしょうか。

動画もあわせてチェック♪

『迷える羊』が使用されている、実際のCM映像がこちらです。

荒廃した広大な土地を共に歩く、米津玄師の姿巨大な機械の狼

映像の中では、遠い未来でも人間に必要なものはきっと変わらない、というメッセージが投げかけられます。

このメッセージは、今回の『迷える羊』という曲にとってもメインのテーマとなっていますね。

またこの『カロリーメイト』を販売している大塚製薬は、本社が徳島県にある会社です。

同じく徳島の生まれである米津玄師とのコラボ、という点でも話題を呼んだCMともなりました。

そんな本CMで使用された『迷える羊』は、一体どのような歌詞の曲となっているのでしょうか。

ここからは早速、楽曲歌詞の内容について迫っていきたいと思います。

なお、一部重複する歌詞については省略しながらご紹介していきましょう。

早速歌詞を見ていこう

1人ひとりの人生にはシナリオがある

米津玄師【迷える羊】歌詞の意味を解釈!物語を待つのは誰?僕らの演劇が続く理由と羊が示すものに迫るの画像

ねえ 生まれてきた日を 思い出せるかい
シナリオの 最初の台詞を
舞台は巡り 演劇は続く
楽屋には サンタマリアがいない

出典: 迷える羊/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

私達人間という生き物の人生

それはさながら、千差万別の物語ともいえるでしょう。

みな1人ひとりの人生やこれまでの生きざまには、必ず物語があります。

そしてそれは同時に、1つとして同じ物語はありません。

しかし毎日を必死に生きる私たちは、なかなかそんな自覚を持つことはできないでしょう。

己が自身の物語の主役である、という自覚を持ち日々生きている、という方はきっと少ないはずです。

それでも私たちの物語は、刻一刻と毎日続いていきます。

日々の喧騒の中で、人生における記念すべきシーンのセリフを一切思い出せなくても。

神であるイエス・キリストの母親となる、聖母マリア。

全ての始まりとなる彼女のように、重要で大事な存在がいなくとも。

私達の物語は、生まれたその瞬間から否が応でも粛々と始まり、続いていくのです。

人生のシナリオを作るのは誰?

最初で最後の歌を 上手く歌えないのに
監督たちは 沈黙を守る
脚本の終わりは 書きあがっていない
祈る様に 僕は口を開いた

出典: 迷える羊/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

私たちの人生の中では、同じ日は二度と訪れません。

そういった意味では、私達は毎日最初で最後の日々を送っているとも言えるでしょう。

しかし当然のことですが、初めての出来事に上手に対応できないのは当たり前のこと。

もっとこうすればよかった、この時ああすればよかった。

そんな風に後悔と反省をしながら1日を終える方も、きっと多いのではないでしょうか。

しかしそんな時でも、私達の人生には誰も助言をくれません。

なぜなら自分の人生という物語を動かすのは、舞台の監督でも脚本家でもなく。

物語の主人公を舞台の上で演じる、役者である私達自身なのです。

自分の人生という演劇の脚本には、決まった結末がありません。

なぜならこの物語の脚本の結末を描くのは、他でもない私達自身なのですから。

1000年後には誰一人生き残っていない、でも

米津玄師【迷える羊】歌詞の意味を解釈!物語を待つのは誰?僕らの演劇が続く理由と羊が示すものに迫るの画像

「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」

誰かが待っている 僕らの物語を

出典: 迷える羊/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師

現代の科学技術の発展は目覚ましく、人類は今人生100年時代に突入したともいわれています。

しかし当然ながら、さすがに1000年後は現在生きている人類は誰一人として生き残っていないでしょう。

ですが西暦2000年に生きる我々は、1000年前の人々の事もある程度知識として知っていますね。

文化や暮らしなど、様々な面で現代とは異なる点も確かに多い1000年前の時代。

しかし、人々の暮らしの本質はきっと大きく変わるものではないのでしょう。

朝起きて働いて夜眠り、誰かを好きになって家族を作り、様々な人と出会って友人となる。

これらは1000年前も現在も、そして1000年後も変わる事のない、人間という生き物の営みです。

そして1人ひとりの人生が物語であるという、人間としての本質

これもまた1000年経った未来でも、何一つ変わらないものの1つなのかもしれません。

今現在の私たちの物語をきっと、何らかの形で1000年後の誰かが知る

自分の物語を待つ未来の誰かがいる。そんな未来も、もしかしたら存在していることでしょう。

1000年後も、人々は迷い続ける