平沢進とは
今から45年前の1973年に活動を始め、63歳になった現在でも音楽活動を続けている大ベテランのミュージシャン。
1973年に、「マンドレイク」を結成し、1979年には「P-MODEL」のヴォーカルを務めました。
現在では、ソロ活動を行っています。
裏話
多種多様な平沢進
平沢の職業は、ミュージシャンだけに留まりません。「シンガーソングライター」「作曲家」「編曲家」「音楽プロデューサー」「ナレーター」「CGアーティスト」と多岐に渡っています。
そして、多岐に渡るものは職業だけではありません。自身が持つジャンルや担当楽器も多数存在しているのです!
多彩なジャンル
激しくポップな曲調が主な「ポストパンク」。電子楽器が主の「ニューウェイヴエレクトロニカ」や「テクノポップ」。
実験的・前衛的なロックの「アンビエントプログレッシブ・ロック」やそれに近しい存在の「シンフォニック・ロック」。
また、前述した様な明るい曲調が主な曲とは一変した、癒し系音楽の一つ「ワールドミュージック・ニューエイジ・ミュージック」。
他にも、シュールで複雑怪奇な歌詞が特徴の「サイケデリック・ミュージック」というものがあります。
これは映画やテレビドラマ、アニメ等で流れる伴奏音楽の「劇伴」というもの。
これらのほとんどのジャンルは、平沢が活動を始めた時期とほぼ同じ時期に台頭してきたものばかりなのです。
つまり、平沢進という人物は、時代の最先端を進んでいくミュージシャンといえるでしょう!
それは、平沢が手掛ける歌詞にも現れています。
美術館であった人だろ そうさあんた まちがいないさ なのにどうして町で会うといつも知らんぷり あんたと仲良くしたいから 美術館に 美術館に 火をつけるよ
出典: 美術館であった人だろ/作詞:平沢進 作曲:平沢進
これは、「P-MODEL」時代の楽曲「美術館であった人だろ」の歌詞の一部です。
「ピンクレディー」で有名な1970年代に、この様なアバンギャルドな歌詞を書いているのです。
時代を先取りしていると言っても過言ではないでしょう!
他にも、イラク戦争に対して抗議の意思を示す等の風刺的な意味合いを持った歌詞なども手掛けています。
豊富な使用楽器
また、これだけのジャンルに手を出しているだけあって担当楽器の種類も凄い。
「ギター」や「ドラムス」、「シンセサイザー」は勿論の事、「ヘヴナイザー」や「グラヴィトン」等といった自作の楽器も扱っているのです。
正に、真の意味で音楽の世界に浸かっていると言えるでしょう!
そして、平沢進はインターネット関係にも音楽の可能性をいち早く察知しています。MP3で音楽を作成したり、ニコニコ生放送に出演したりもしています。
今回行われた「第9曼荼羅ライブ」も、今では世界中の人が活用している「Twitter」がきっかけとなっているのです!
「第9曼荼羅ライブ」について
9万回のノックで開く曼荼羅がある。第9曼荼羅が開く時、9万音符の調べが降りる
出典: https://susumuhirasawa.com/special-contents/event/the-9th-mandala/index.html