これぞアイドル!野口五郎
ツヤツヤの黒髪、儚げで優しい面長のフェイスライン、高い鼻梁にとろけるような目元…
甘いマスクのこの男性、画像を確認していただくとよく分かると思いますが若かりし頃の野口五郎です。
もはや元祖アイドルとも言っても過言ではありません!今見ても素敵ですね。
御三家とはもともと、江戸時代、もっとも格の高かった大名家、水戸・尾張・紀伊徳川家を指した名称です。
それにちなみ、特定の分野においてもっとも人気や格の高いものトップスリーを表す言葉となりました。
野口五郎は、アイドル新御三家の一員だったのですね。
ちなみに、元祖御三家は、今では素敵な70代の「橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦」の三人です♪
芸名の由来はまさかの○○
岐阜県美濃市に生まれた野口五郎は15歳で演歌歌手としてデビューしました。
芸名の由来は、なんと山!
飛騨山脈にある標高2.924mの山「野口五郎岳」から、その名をいただいたそうです。
飛騨山脈は北アルプスとも呼ばれ、急峻で険しい山々が連なる、美しい山脈。
甘いマスクの野口五郎ですが、厳しい山の名前が由来だなんて面白いですね。
人気のきっかけともなった「甘い生活」
今回ご紹介する楽曲は、そんな野口五郎の『甘い生活』です。
演歌歌手からポップスに転向したのち、じわじわと人気を伸ばしてきた野口五郎。
1974年『甘い生活』がリリースされると、これが大ヒット!
2週間連続オリコン1位を獲得し、3度目の紅白出場。累計95万枚を売り上げました。
さらに作曲を手掛けた筒美京平氏は、この楽曲でレコード大賞・作曲賞を受賞しています。
野口五郎のアイドルとしての地位を確立した、記念すべき一曲となったのです。
この時はまだ10代でした!
『甘い生活』は恋人同士が同棲し、そしてやがて破局を迎える…という失恋ソング。
恋に恋する若い恋人たちの、若さゆえの切なさが満載の歌です。
じつは、『甘い生活』がリリースされた1974年には、野口五郎はまだ18歳でした。
「飲みに行った」というようなフレーズもありますが、お酒も飲めないお年頃だったんですね。
とはいえ、今の18歳と比べると、だいぶ大人びていた感じのある当時の18歳。
高校を卒業して実家を離れ、恋人と同棲。そして夢破れる…。
そんな年齢とちょうど重なります。
そのため、同世代の共感を得ることができたのかもしれませんね。
さて、それではいよいよ歌詞を見ていきましょう!
愛だけで、何とかなると思っていた
あなたと揃いの モーニング・カップは
このまま誰かにあげよか
二人で暮らすと はがきで通知を
出した日は帰らない
愛があればそれでいいと
甘い夢を始めたが
出典: 甘い生活/作詞:山上路夫 作曲:筒美京平
捨てることができないマグカップ
これからはじめる、誰にも邪魔されることのない二人だけの甘い生活。
一緒にご飯を食べて、一緒に眠って、一緒に目覚めて…。
片時も離れたくない、そんな燃え上がる恋をしていたのでしょうか。
愛さえあれば、二人なら、なんだって乗り越えていける、そう思っていたのかもしれません。
ところが現実は、少し残酷ですね。
二人の関係の象徴でもあったペアのカップが、今ではむなしい影を落とします。
お互いだけを見つめていたあの頃を、客観的に眺めるような空々しさがそこにはあります。
けれど捨てることができません。
捨ててしまえば、二人で過ごした時間もいらないものになってしまう気がして。
だから誰かにあげようか…と思っているのでしょう。
別れてしまう未来など想像できずに
「私たち、結婚しました!」というはがきは見たことがあります。
当時は、「一緒に暮らしています」というはがきを出すこともあったのですね。
メールなどない時代。親しい友人などに、住所を知らせるためでもあるでしょう。
それと祝福してもらいたい、自慢したい気持ちもあったかもしれません。
そんなはがきをウキウキして書いた、あの日にはもう戻ることはできないのです。
夢、とは目が覚めたら消えてしまうもの。
甘い夢ほど、目覚めてしまったときのギャップが切ないものはありません。