Nirvanaの違和感
この曲は1991年のNirvanaの2ndアルバム「NEVERMIND」にも収録されています。
そしてこのアルバムはNirvanaを一躍有名にした大ヒットアルバムです。
フロントマンのカート・コバーンはグランジのアイコンとしても注目されるようになりました。
このグランジという言葉ですが元々作業着をイメージした「汚い」といった語源から来ていますね。
ネルシャツに汚れたジーンズなどのワイルドなイメージでしょうか。
ですがそこに最初に目を付けたのはファッション業界です。
王子様のような顔立ちのカート・コバーンがグランジファッションのアイコンとなったのは皮肉な感じがします。
そのあたりにもNirvanaの仕組まれた戦術のようなものが見え隠れしていますね。
この楽曲の「私は銃を持っていない」という歌詞には啓蒙的な要素が組み込まれているようです。
ですが今回はこの歌詞を違った側面から考察してみたいと思います。
それはカート・コバーンの内面にある両極性です。
またそのことはNirvanaの他の楽曲にも表れていますので、まとめの際に見比べてみたいと思います。
歌詞考察前に~この曲の「5W」
今回この曲を考察するにあたって、中学で習うあの「5W」を使います。
「when」「Where」「Who」「What」「Why」のキーワードです。
このキーワードを使いより具体的に彼の意識や行動を追いかけていきたいと思います。
歌詞考察~冷静な語り口
「Who」俺の元にやって来るのは誰?
Come as you are, as you were
As I want you to be
As a friend, as a friend
As an old enemy
おまえのままで、おまえらしいあの時のままで来てほしい
おれが望むおまえとして
友として, 友として
あの時の敵のように
出典: Come As You Are/作詞:Kurt Cobain 作曲:Kurt Cobain
いきなりですがこの歌詞の中の登場人物はすべて一人称だと考えられます。
「おまえ」は自分のことになるので今の自分も過去の自分も取り繕うことなく来いということでしょうか。
「as」は「~と同じように」という意味で訳しました。
あるがままの自分でいたいという意味になります。
そして自分の中でこう在りたかった自分というものが明確にあったということです。
それが「want」の部分に表れていますね。
その後は自分の中にあるプラスの面を示す時を「友」とします。
ですのでその後の「敵」という言葉は自分の中にあるマイナス面を表していますね。
どんな自分もひっくるめて来いよ!というまだまだ余裕のある感じです。
「When」彼はいつ頃やって来る?
Take your time, hurry up
The choice is yours, don't be late
Take a rest as a friend, as an old memoria
自分のペースでいいが、出来るだけ急げ
選ぶのはおまえだ、でも遅れるな
友として休んでくれたらいい、古い記憶の中で
出典: Come As You Are/作詞:Kurt Cobain 作曲:Kurt Cobain
自分でよく考えて来いよと言っていますね。
いつ頃行くかは遅からず早からず、ちょうどいい時を考えてと言っています。
如何にも物わかりの良さそうなことを言っているようですが裏返せば自分にすべての責任があるということです。
一見柔らかな物腰で「友」を労わっているようにも取れますがこれも過去の自分への労わりの言葉ですね。
ここでは彼がどれだけ過去に疲弊しこだわっているかが解ります。
そしてこの「記憶」自体が忌まわしいものだったのかもしれませんね。
ここの「as」は「~中で」と訳しましたので過去の中でゆっくりと休んで欲しいということでしょうか。
「Where」彼は何処からやって来る?
Memoria
Memoria
Memoria
記憶の中で
出典: Come As You Are/作詞:Kurt Cobain 作曲:Kurt Cobain
前のフレーズにも出てきましたが過去にとてもこだわっていますね。
過去の「記憶」の中のすべてが彼に取り付いてやってくるのではないでしょうか。
過去がいくら遠い過去であってもそこから逃げられない感じがします。
この「記憶」自体が物体として過去からやって来る感じだといえば解りやすいでしょうか。
「Memoria」はラテン語で英語の「Memory」と同じ意味ですね。
もうひとつの意味として考えられるのは、メメント・モリ(memento mori)です。
メメント・モリはラテン語で「死を忘れるな」という意味になります。
ですから遠い記憶の中からやって来るのは「死を忘れるな」という恐怖ではないでしょうか。
この言葉の意味で捉えるとしっくりきますね。
元々メメント・モリは墓碑などに書く言葉ですから亡くなった人を忘れないでという意味もあります。
ですがこの楽曲の中で解釈すれば生きることの後ろには常に死があるという捉え方で良いはずです。
ここまでは冷静な語り口でしたが次のフレーズではどうなっていくでしょう。