amazarashi『夏を待っていました』

2007年から活動を開始したバンドamazarashi

彼らがメジャーデビューするときにリリースしたアルバムは「爆弾の作り方」と、衝撃的なタイトルです。

今回ご紹介するのは、そのアルバムに収録された『夏を待っていました』という楽曲です。

この楽曲、実は非常に面白い作りになっているのです。

まるで小説…?

実はこのナンバー、歌詞がまるで小説なのです。

この楽曲の登場人物は4人。

特徴があまりない、いたって普通の少年である

家庭内にとある問題を抱えていた雅敏

内気で体を動かすことが苦手だった靖人

みんなを引っ張る、たくましくて頼もしい太平

この4人がかつて過ごした日々にまつわるエピソードを中心に、物語は進行していきます。

かつての彼らは一体どのような子どもだったのか。どのような少年時代を過ごしたのか。

仲の良かった彼らを変えた衝撃的な事件とは一体、どのようなものなのか。

早速物語の世界に足を踏み入れてみましょう。

過去の記憶

①雅敏の話

君はまだ覚えてるかな 幼い頃の暑い六月 廃線になった線路を 僕等はどこまでも歩いた
乗り気で水筒なんかを ぶら下げてきた雅敏は おじちゃんに買ってもらった マウンテンバイクを自慢した

「けどな 俺はおじちゃんが嫌いなんだ 母ちゃんをいつも泣かせてばかりいるから」
僕は何だか気まずくなって 目をそらしたんだ 雅敏の顔に大きな青痣があったから

出典: 夏を待っていました/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

まず登場するのは、家庭内にとある問題を抱えていた雅敏です。

彼らは田舎育ちなのでしょう。都会とは違って、ただの線路でさえ遊び場になるようです。

そんないつも通りの時間が流れる中、唯一違ったのは雅敏が持っていたマウンテンバイクでした。

子どもというのは、新しいものが手に入るとついつい周囲に自慢してしまうものです。

雅敏もそうだったのでしょう。少年らしい無邪気な感情が溢れ出ています。

しかし雅敏にとって、そんなマウンテンバイクを買ってくれたおじちゃんは、嫌悪の対象です。

友達に自慢するのがマウンテンバイクそのものであり、買ってくれたおじちゃんではないことからも明らかです。

その理由もここで明かされていました。雅敏の家庭はDVという問題を抱えていたのです。

暴力の対象は母だとしか話していませんが、僕は雅敏の痣を見て、彼もDV被害者だと悟るのです。

幼いながらにその状況を理解し、言葉を詰まらせる僕の切ない姿が目に浮かびます。

子どもの頃の楽しい思い出

降りだした夕立に走りだす つぶれた無人駅で雨宿り 明日は何して明後日は何して
くだらない話で笑い転げる 嵐の予感に胸が高鳴る あの時僕ら皆は確かに
夏を待っていました

出典: 夏を待っていました/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

どんな時も仲良し4人組は一緒に行動していたのでしょう。

毎日何をして遊ぼうかと心を躍らせている、そんな時間が唯一の幸せだったのかもしれません。

彼らが夏を待っていたのは、夏休みがあるからではないでしょうか。

毎日遊ぶ幸せ、毎日4人で過ごす幸せに思いを馳せながら、夏がやってくるのを心待ちにしているのです。

②靖人の話

ここに居たくないってのと どこかに行きたいってのは 同じ意味なのかな なんにしろ歩こうか
体育と部活が何より苦手な靖人は とうとう膝を抱えて こう呟いた
「僕はいつも皆に置いてきぼりで 本当にダメなやつでごめんな」
僕らはなんだか笑ってしまった つられて靖人も涙目で笑った

出典: 夏を待っていました/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

2番目に登場するのは内気で体を動かすことが苦手だった靖人

みんなができることも、自分には上手にできない。そんなもどかしさを抱えているようです。

仲良しで信頼していたのでしょう。靖人は僕に、ボソッと胸の内を明かしてくれました。

しかし平凡な僕は、かけるべき言葉が見つかりません。やっとの思いで出てきたのは愛想笑いだけ

靖人のもどかしさ、そして同じく僕のもどかしさ、両方が感じられます。

なつかしいあの頃