悪ガキにはなれない並ガキな君の口癖はただ「眩しい」だった
出典: 出典: 光るまち/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利
「光るまち」の歌詞に登場するのは2人だけです。
主人公である「僕」の一人称で友人である「君」との思い出が語られていきます。
その友人の口癖は「僕」にとってとても印象深いものだったのでしょう。
口癖ですから、何かしら感動した時にでるよくでる言葉なのでしょうか。
それとも何気ない独り言のようなつぶやきなのでしょうか。
普通の男の子の口癖としては少しセンチメンタルな響きがあります。
そつなくこなす、嘘付くことない君の背中を追うのが好きだった
愛想笑いが苦手な君の無愛想笑いを見るのが好きだった
愛想笑いもする機会のない僕の心のスーパーヒーローさ
出典: 出典: 光るまち/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利
その友人は優等生ではないけれど、不良でもありません。
ただ主人公よりは少しだけ、器用だったのかもしれません。
決して愛想がいいわけではないですが、それでも彼よりは友達が多いでしょう。
周りから見れば彼は多分普通の男の子です。
「いいやつ」とは思われるでしょうが、同性の同世代に「かっこいい」と思われるタイプではありません。
彼はそんな友人に友情ではなく、それ以上の憧れを抱き英雄視しています。
憧れはコンプレックスの裏返しです。
自分に持っていないもの、自分もやりたいのに出来ないことが出来るからこそ憧れるのです。
主人公が友人の好きと思う部分は、彼が苦手なこと、コンプレックスを持っている部分でしょう。
主人公の自己評価がそこに現れています。
その自己評価はかなり低いようですが、人はだれでも苦手なことが一つや二つはあります。
見栄だってはるでしょう。嘘つきといっても多分その程度のものです。それでも気にしてしまう。
だから自分の苦手なことをこなす友人のことが気になるのです。
終電
光るまちに行こう 終電には帰ろう
出典: 出典: 光るまち/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利
サビの部分で主人公は光っている「まち」に行こうとします。
一番の歌詞には「まち」は出てきませんから、二番の歌詞に繋がるフレーズでしょう。
そのため行く理由はここでは明らかにはされません。
ただ帰りは終電に乗る予定ですから、行きも電車でしょう。
つまり「まち」は主人公と彼が暮らす場所からは、電車でないと行けないぐらいには離れています。
普通の学生が終電の時間まで遊べるのですから、繁華街はあるでしょう。
「まち」と呼ぶということは「僕」の暮らす場所よりは栄えているはずです。
ただ主人公の性格から想像すると、都会に対して憧れがあるタイプには思えません。
主人公にとってはこの時点ではまちはまちです。憧れの対象として光って見えたりもしません。
そんな主人公にとってまちが光っているとはどういうことでしょう。
日が暮れる中、その「まち」にむかう電車に乗る「主人公」。
車窓から見えるその「まち」は周囲が暗い中でそこだけ光って見えたはずです。
主人公はその「まち」には行きますが、遅くとも最終電車には乗ろう。
この時点では、まちの光も最終電車も主人公にとって見たままのものです。
それでも終電を気にするあたりに主人公の生真面目さも垣間見えます。
ライブハウスと「君」のうた
まちに来て
君に連れられて来たライブハウス、何かコカ・コーラは薄かった
音は煩い、煙草も臭い でも見える世界は眩しかった
出典: 出典: 光るまち/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利
主人公がまちに来たのは英雄視している友人に誘われたからです。
二人がやってきたのは小さなライブハウス。彼にとってはじめて来た場所でしょう。
そこは主人公にとっては馴染めないし、居心地のいい場所でもありません。
にもかかわらず、ステージの上に目が眩むほどの何かを見いだします。
音は気に入らないにも関わらずです。彼はそこに何を見たのでしょう。
何にそんなに心惹かれたのでしょう。
見たもの、感じたこと
君が狭い狭いステージで歌ったあのダサい歌が好きだった
君の狭い狭い狭い狭い狭い狭い世界こそ正解だ
出典: 出典: 光るまち/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利
彼がライブハウスで見たのはステージに立つ友人の姿です。
不器用で嘘つきで人付き合いが苦手な彼にとって輝いて見えるものとは何なのでしょう。
それは友人の歌で描かれる世界であり、それをステージで歌うことなのではないでしょうか。
その歌は多分、とても私的なものだったでしょう。
友人を英雄視している彼から見てもまったく格好悪い歌です。独りよがりな歌だったのかも知れません。
他人から見たらどうでもいいようなことを歌った歌詞かも知れません。
でもそこには歌い手の本当の気持ちがあるのです。
だからこそ主人公はその歌にシンパシーを感じます。
本当の自分をそれがどんなに格好悪くとも歌で表現しようとし、人前で歌うこと。
それこそが正しいことだと気づくのです。
当然、主人公も自分にとって正しいと思えることを自ら表現するでしょう。
それが正しいことだと知ってしまったのですから。
もう一つの「光」
光るまちに行こう
光るまちに行こう
光るまちに行こう 終電には帰ろう
出典: 出典: 光るまち/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利
ライブハウスのエピソードのあともう一度まったく同じ歌詞のサビになります。
しかし、ライブハウスでの体験を経て、主人公にとって光の意味は変化しています。
もはや彼にとって「まち」が現象として光っているのではありません
「まち」は本当の自分を表現することの正しさを表現することが出来る場所なのです。
だからこそ光り輝いています。だからこそそこに行き続けるのです。
しかしどこかでそこは自分の住む世界ではないとも思っています。
だからこそ最終電車に乗るというかたちで制限を自分自身に課すのです。
もちろん歌で自分を表現することは正しいことです。でも歌手になることまでは考えてないのです。
すくなくともこの時点では。