仲間と楽しむ2番の歌詞
仲間とはしゃぐ2番Aメロの前半
誕生日祝ってる
最高の売春婦
ツレの部屋に送る
金かけてオレらはフザケてる
出典: 遊びの天才/作詞:エロ神クズお 作曲:Ryuuki Beatz
俺君はおふざけに関しても常に全力です。
きっと一緒に笑いあえる素敵な仲間に囲まれているのでしょう。
彼らが笑って楽しんでくれるなら、お金は関係ない。
漢気のようなスピリットが感じられます。
高級車を買う2番Aメロ後半
衝動買いしたベントレー残高の事なんてオレ知らねえ
周りの仲間もイカレてるまだ日本にクズがたくさんいる
出典: 遊びの天才/作詞:エロ神クズお 作曲:Ryuuki Beatz
高級車ベントレーは、一体いくらしたのでしょう。
数百万円はすると思います。
それを軽いノリで買うとは。
やはりお金は持っているよう。
しかし貯金を確認しないところを見ると破天荒ですね。
そして、友達もみんな破天荒なようです。
エネルギー満ち溢れる人間が、俺君のもとに集まっているのでしょう。
まさに、無敵のパーティー集団です。
彼らの快進撃はこのまま続くのでしょうか。
社会に対する不満をあらわにする2番Bメロ
人生なんてギャグいいから笑えって常識クソクラエ
ヤリたい事やって笑ってるだけ明日死んでもいいぜ
出典: 遊びの天才/作詞:エロ神クズお 作曲:Ryuuki Beatz
人生観を語るような輩が理解不能だと言っているのでしょう。
誰かの見本になるつもりもないし、地位や名誉、尊敬を求めているわけでもない。
しかし、裏を返せば俺君のこのフレーズもひとつの人生観だといえます。
楽しさを見出せないものに、一体なんの価値があるのか?
一見辛口に不満を言っているだけのように聞こえますが、強烈なアンチテーゼになっています。
生まれてきた目的は、自分やみんなが楽しむことじゃないのか。
そう考えると、それ以外のことに使う時間は無駄以外の何ものでものない。
批判しているようで、そんな生き方でいいのか?という問いかけのようにも感じられます。
次は俺君の生き方について考察してみましょう。
夢破れた者と、究極の遊び人という2通りの考え方です。
俺君の生き方考察
夢破れた俺君
Aメロ、Bメロではひたすらに自分の遊びについて歌い、サビでは俺には天性のものがないと何度も嘆く。
この楽曲をそのように捉えると、俺君の正体は夢破れた者なのだと考えられます。
きっとこれまでに、夢や目標を目指してとてつもない努力をしてきたのでしょう。
でなければ、才能があるかどうかなんて判断できません。
そして、その頑張りがあったからこそ、遊びについても全力を出し切れるのではないでしょうか。
そう考えると、俺君が急に愛嬌があり、魅力的な人間に見えてきます。
だからこそ、友達や女性たちに囲まれて楽しく生活することができているのです。
しかし、突然サビで聴けるような、才能のなさから転落した過去を考える瞬間があるのかもしれません。
それを忘れるために、お酒を飲み、女の子と踊り、記憶を飛ばす。
遊びの道なら俺はナンバーワンだ!
そう自分を励ましているのでしょう。
ただ、俺君に関していうならば、お金は結構持っている状態です。
そこそこの成功はしているのだと思います。
しかし、その道でナンバーワンになれなかった。
そんな敗北感を抱えているのかもしれません。
一見、成功者に見える人でも、そんな気持ちの人はたくさんいるのではないでしょうか。
純粋に究極の遊び人を目指す俺君
曲のもう一つの解釈は、俺君にはもともと目標などないというものです。
つまり、生まれながらの遊び人なのでしょう。
そう解釈すると、サビでは才能の無さを嘆いているのではありません。
才能の価値を否定していることになります。
俺君は過去に才能の無さを指摘され、反発しているのでしょうか。
その可能性もありますが、他の考え方もできます。
才能や、頑張りの愚かさを謳っているというものです。
才能はあった方がいいような気がします。
しかし、それ自体が刷り込まれた固定観念ではないでしょうか。
人生は何のためにあるのでしょうか?
俺君は楽しむためにあると言っているのです。
逆に才能を持ってしまった人たちはどう生きるでしょうか?
頂点を目指すために、人生の大半を血の滲むような辛い努力で終えるかもしれません。
それはトータルでみたときに、幸せな人生といえるのか?
才能の無さをプラスに捉えているのです。
俺君は、生まれながらにしてその考え方に馴染んでいたのかもしれません。
だとすれば、遊びに関しては才能抜群です。
俺君を世間知らずな人間と考える人もいるかもしれませんが、これはれっきとした東洋思想のひとつです。
無理をせず、あるがままの姿が一番だということ。
俺君の人生哲学を突き詰めると、このようになります。