さよならエポジー2年ぶりの新作
さよならエポジーが新作を発表するのはなんと2年ぶり。前回の「前線に告ぐ」2016年7月からのリリースです。
本作には新曲7曲を含むアルバムでタイトルは「遅くなる帰還」とし、2018年5月2日に発売が決定しています。
アルバムに収録された「二月の中を / February」はアルバム発売に先駆けて、すでにYouTubeで公開がされています。
アルバム収録曲紹介
01. オールドシンク
02. chills
03. 二月の中を / February
04. thus
05. そう
06. 応答するまで
07. その一閃
出典: 遅くなる帰還/さよならエポジー
「二月の中を/February」の歌詞紹介
2018年5月2日リリースとなるアルバム「遅くなる帰還」に収録された「二月の中を/February」は3月28日にYouTubeでのMVが公開となりました。
曲の詳細については開示されている情報がまだリリース前で、ほとんどありません。
先行予約は開始していますが、発売までもう少し時間がありますね。
鈍色をした実弾でいよう
胴体をそっと貫くように
窓を擦った指から捨てよう
外の街々を見ないように
出典: 二月の中/February/作詞:オサキアユ 作曲:オサキアユ
にぶいろの実弾
”鈍色した実弾でいよう”鈍色とは、「にぶいろ」や「にびいろ」といって、俗に濃い灰色の事を指します。平安時代の貴族の喪服によく用いられた色だそうです。
鉄に由来する名前であることから、近代では兵器や戦車などを指す表現にも用いられます。
”胴体をそっと貫くように”実弾ですから、撃たれれば貫かれるのは当然のことです。ただ、そっと貫くという表現に深みがあって、鈍い色をした実弾では物理的に、即死にはならない。
そう意味のことを意図しているのでしょう。全体としては、金色に輝いた真鍮の実弾よりもたちが悪いという感じでしょうか?
”窓を擦った指から捨てよう”窓ガラスが、くもると指でこすって、外を見ようとしますね。その指から捨てるのです。
それは”外の街々を見ないように”。
これは、外の世界、世間の一般をかいま見る必要はない、見たものから投げ捨てて行っても失うものな一つもないということでしょうか?
離れ過ぎた距離感でいよう
朗報がそっと届くように
抱え過ぎた幸せを売ろう
出来るだけずっと溢れぬように
出典: 二月の中/February/作詞:オサキアユ 作曲:オサキアユ
"離れすぎた距離感でいよう”離れた距離感ではなく、「離れすぎた」なのは、徒歩で行ける距離ではない距離感。誇張することによってアーティスティックな印象が残ります。
”朗報がそっと届くように”スープの冷めない距離が良い。なんて言う言葉がありますが、両親や親せきがそんな近い距離にあると、良いことも悪いことも耳に入ってしまいます。
良い「朗報」も時には口頭やメールでなく、ハガキや手紙のように時間をかけて届くとありがたみを感じると言いたいのかもしれません。
離れすぎた距離感はもしかしたら、遠い外国かもしれないし、日本の北の端と南の端かもしれないですね。距離があることが朗報の印象を効果的に盛り上げてくれることを意味しているような気がします。
”抱えすぎた幸せを売ろう”有り余った幸せは世の人に分け与えようということでしょうか?
”出来るだけずっと溢れぬように”はあふれるくらいあるなら、無駄にせず、自分は筒一杯に満たされた幸せで十分でしょ?という教訓のように聞こえます。
だれにもうなずかなくていい
誰にも頷かなくていい
誰にも頷かなくていいのにね
出典: 二月の中/February/作詞:オサキアユ 作曲:オサキアユ
”誰にも頷かなくていい”この節は、自分本位でいいんだ。誰のいうことにも別に従う必要はない。という心理。
だれにもが3回リフレインすることで、その後に来る歌詞が何だろう?とすごくわくわくする瞬間です。
誰にも一体何が起こるのか?何を期待するのか?Aメロの歌詞からはちょっと想像がしずらい展開。
世間一般を感じさせる”外の街々を見ないように”で他と比べる必要はないという暗示が感じられます。
”離れすぎた距離感”は世間と逸脱して生きると、本当の幸せとか真実が見えてくる。というような感じとも取れますね。
2番の歌詞も注目
もう回想もしない
名前も無い奴を忘れよう
もう回想もしないように
謳い過ぎた唄から捨てよう
出来るだけずっと戦えるように
出典: 二月の中/February/作詞:オサキアユ 作曲:オサキアユ