槇原敬之といえばLIFE SONG
槇原自身が自分の曲をLIFE SONG(らいふそんぐ)と称しているのにはわけがあります。
まずは彼の楽曲作りとして、作曲よりも先に作詞を始める「詞先」という手法をとっているのですが、その詞の生まれるきっかけは日々の暮らし、人との関わりの中だというのです。
彼の言う所のLIFE SONGとは、等身大の自分の気持ちを素直に歌に綴(つづ)ったものと言えそうです。
そこで、私が感じる彼のLIFE SONGをピックアップしてみました。
『どんな時も』
1990年のデビューの槇原敬之ですが、彼を一躍有名にした1991年のミリオンセラーシングル『どんな時も』は自身3枚目のシングルにあたります。彼が21歳のときの作品です。
これって3曲目だったのですね・・・・・・意外。実はシンガーソングライターとしての片鱗(へんりん)はすでに16歳の頃から表れていました。
NHK-FMで1978年から1987年にわたって放送されていた坂本龍一の『サウンドストリート』内の素人が参加するデモテープコーナーがあり、そこで優秀作品として坂本龍一から絶賛されていたのです。
それが高校在学中の時ですから、デビューはそれから5年後になるのですね。この5年間の間に、名曲『どんな時も』の生まれるエッセンスともなる大学「受験」を経験するわけです・・・・・・。
『世界に一つだけの花』
SMAPに提供された2003年リリースのこの楽曲、槇原自身の身に起きたさまざまな出来事を通して至った境地を歌にしたものだと言われています。
思えばいろいろなことがありました。ポリープの除去手術、覚せい剤取締法違反の事件を経て出会った仏教。
その教えに触れ、さらに愛読していた『星の王子さま』のバラの花の条(くだり)が重なってこの詩が生まれたと自身が語っています。
槇原敬之デビュー秘話
デビューは『AXIA MUSIC AUDITION '89』。こちらで発表された楽曲『NG』も作詞・作曲・編曲のすべてを槇原自身が手掛け、「グランプリ」と同時に「一万人審査員賞」をダブルで受賞しています。
「一万人審査員賞」はデモテープを聴いた一般の音楽ファンからの投票で選ばれるもので、アマ・プロ問わずその才能に驚嘆させられたと言ってもいいでしょう。
作詞・作曲・編曲のすべてを自分でこなす。その姿勢はデビューのころからほぼ変わっていないのですよね。これってすごいことです・・・・・・!
ただし、決して順風満帆というわけではありません。
『Hungry Spider』リリース時期に世間を騒がせていたことを覚えている方も多いのではないでしょうか。
しかし一方でそうした波瀾万丈な人生がまた彼の作家性に大きな影響を与えたことも事実でしょう。
人生の失敗や紆余曲折を作品に昇華してヒットさせられる才能たるや正に稀代の天才アーティストです。
『Hungry Spider』について
『Hungry Spider』は1999年6月2日にリリースされた22枚目のシングル曲です。その歌は、蜘蛛(くも)が蝶(ちょう)に恋をするというおとぎ話のような内容。
シングルCDには同曲の英語バージョンが収録されていますが、こちらの英訳歌詞はセイン・カミュが担当しているのです。
セイン・カミュをご存じない?彼はノーベル賞受賞の文豪、アルベール・カミュ(『異邦人』の著者)を大叔父に持つという経歴の持ち主。
数カ国語を駆使できる外国人タレントとして一世を風靡(ふうび)し、今もタレントとして活動しています。ちなみに出身国はアメリカです。日本に長く滞在していたので日本語は母語並みに上手なのです。
蜘蛛と蝶の物語に掛けた男と女の恋の駆け引き
『Hungry Spider』は珍しくメタファー(暗喩)に満ち満ちた作品です。LIFE SONGを作っていた彼としては珍しい作品になります。
クモは男、チョウは女。男と女の駆け引き、男の下心、女のか細い「助けて」のささやき声、エロティックな二人の関係を描いています。
なんだかPVもちょっと淫靡(いんび)で危険な雰囲気。童話っぽい紙芝居の絵もよく見たらすごくおどろおどろしかったりして。
なんだか不思議な雰囲気の漂う映像に仕上がっています。