軽やかではじけるような曲調

ずっと真夜中でいいのに。は2018年にすい星のごとく現れた音楽ユニットです。

特定の形を持たない活動をするというコンセプトをもっている謎が多いバンドとして知られています。

そのメンバーすら詳細があかされないというミステリアスな世界観でファンを魅了しているのです。

ミステリアスさとは裏腹に楽曲はテクニカルで軽やかなナンバーを多く発表しています。

歌詞は現代らしい少しダークで奇抜だけどなんとなく共感できる。

寂しさだったり悲しさだったりを素直に表現せずセンスのある言葉で紡ぎます。

今回は”ずとまよ”のあいつら全員同窓会の歌詞について考察。

不思議な世界観とマッチした歌詞の世界にも注目です!

是非最後までお読みください。

嫌味に費やす人生とは

無駄なことの贅沢さ

思い通りに起きれない
急いで飲み込む納豆巻き
当たり障りのない儀式みたいな
お世話になってます
手帳開くともう過去
先輩に追い越せない論破と
明る日も来る日も 道草食って帰るが贅沢

出典: あいつら全員同窓会/作詞:ACAね 作曲:ACAね

冒頭からシンプルなメロディの構成でおしゃれさがあります。

MVでは小さなモグラが土の中を進んでいてなんだか愛らしいです。

日々の中には思い通りに起きられない朝があります。

急いでいるのにネバネバの納豆巻きを食べるという発想が秀逸です。

普段の挨拶でお世話になっていますという言葉よく使います。

意味も分からず毎日のように使っている様子を皮肉めいた言葉で飾っているのでしょう。

過去を示唆しているところから少し自戒の意味もあるのでしょうか。

論破と道草が贅沢とは合理的な知性と非合理な行動

正反対の性格を有している人物像が浮かび上がってきます。

言葉のリフレインでバランスを壊す

もうダンスダンスダンス 誰も気づいてない
ジェメオスよりもゆうもわな落書きに
もうステイステイ捨てる 下積み正義
嫌味に費やすほど人生長くないの

出典: あいつら全員同窓会/作詞:ACAね 作曲:ACAね

同じ言葉を繰り返すことで想定されている言葉の順序を崩す効果があります。

繰り返しがなければ落書きに誰も気づいていないという変哲もない歌詞

歌詞では多用されていますが、本来同じ言葉の繰り返しはNGです。

しかしこうしてあえて使うことで次の言葉の順序が予想できくなります。

さらにダンスというワードを繰り返すことでたくさん踊っている感じをだせる。

短い単語を繰り返すことでメロディにスピード感がでるということもあります。

そしてジュメオスとはグラフティアーティストのユニットとして有名なオス・ジュメオス。

そのジュメオスよりもユーモアにあふれるグラフティですら気が付かないほど人々は踊っている。

下積みとは出世できず他人に使われている状態を指します。

明るい雰囲気とは裏腹に大切なものに気づかず正義を執行できない人々を嘆いているように取れる歌詞です。

テンポの良いリズムで引き込まれる世界観

自然体で騒ぐ僕

どうでもいいから置いてった
あいつら全員同窓会
ステンバイミー自然体に
シャイな空騒ぎ
ねばった戦績 飛んでった
なりたい自分に絡まる電柱
ぼーっとして没頭して
身勝手な僕でいい

出典: あいつら全員同窓会/作詞:ACAね 作曲:ACAね

同窓会とは特定の学校の卒業生が在籍当時を懐かしむべく集うイベントです。

曲のタイトルでもあるあいつら全員同窓会とはなんともユニークで覚えやすいフレーズですね。

しかしどうでもいいから置いてったとはどのような意味でしょうか。

同窓会とは内輪だけで盛り上がるイベントですね。

おそらくakaねはそうした内輪のイベント無関心なのでしょう。

無理やり好きでもない同窓会につきあうよりも自然体で過ごすことを選んだ方が良い。

自分に当てはめて考えて共感できる方は多いのではないでしょうか。

身勝手な存在と思われても無理に過ごすよりはそれでいい。

新しい価値観のようで、内面的には誰でも心の中に抱えていることを素直に表現していると思います。

ねばった成績絡まる電柱

どうでもいいから置いてった
あいつら全員同窓会
ステンバイミー自然体に
シャイな空騒ぎ
ねばった成績 飛んでった
なりたい自分に絡まる電柱
ぼーっとして没頭して
身勝手な僕でいい

出典: あいつら全員同窓会/作詞:ACAね 作曲:ACAね

サビは同様のフレーズが繰り返される部分です。

唯一“ねばった戦績”という部分が“ねばった成績”に変わっています。

成績とは何かをなした時の結果のことです。

つまり戦績とは成績の1部と言えます。

しかしあえて前半で戦績という言葉を使っているところが肝要です。

どうでもいい、といいいながらも前半ではそれなりに葛藤があり戦っていたのではないでしょうか。

後半ではそうしたしがらみからも完全に開放されているという表現にしたい。

そのためにあえて別の表現にしたのではないかと考察できます。

本来絡まるのであれば電線ですがコンクリートでできた電柱が絡まるとしているのです。

しがらみとは現実がゆがむほど自らを縛ってくる存在なのでしょうか。

さらっと歌詞の中に織り交ぜることで恐怖感を生まないというのもテクニックの1つですね。

目に見える世界が全てじゃない