9mm Parabellum Bulletと【白夜の日々】

9mm Parabellum Bullet【白夜の日々】歌詞を解釈!君に会う理由とひとつのこたえとはの画像

9mm Parabellum Bullet」(キューミリパラベラムバレット)は2004年に結成された邦楽ロックバンドです。

暑苦しくない、でも男らしくてかっこいいと定評があります。

デビュー当初のライブは若さの溢れる激しいパフォーマンスでファンを魅了していました。

歳月を重ね少しずつ落ち着いたバンドはこれまで以上に大人の男のかっこ良さが滲み出ています。

それでいて、彼らの奏でる楽曲は良い意味で変わらずファンを置いてきぼりにしません。

その様子はまるで青春の中に居た彼らを、大人になった彼らが“あの頃”を忘れないよう、見つめているように感じます。

「9mm」はおふくろの味のように温かくて優しい存在だと語るファンもいます。

かっこいいのに優しくて安心させてくれるような、それでいて新曲などは毎回ドキドキさせてくれるのです。

これこそがファン離れの少ないバンドの魅力なのでしょう。

【白夜の日々】とは

【白夜の日々】は2020年9月9日に発売された「9mm」の11枚目シングルです。

白夜とは太陽が沈まない現象のことで、北極・南極でしか見ることができません。

真夜中であっても日が沈まず、夕焼けのような薄明の空が続くのです。

地平線に隠れることのない陽はとても優しく幻想的で、気持ちも穏やかでいられる気がします。

【白夜の日々】の歌詞はコロナ禍の日本で最初の緊急事態宣言下に書き始めたそうです。

先の見えない不安な日々の中、真逆ともいえる“白夜の日々”は私たちに光を与えてくれるでしょう。

【白夜の日々】のMV

【白夜の日々】のMVバンドライブのように臨場感のあるかっこいい映像になっています。

モノクロの中に射すライトの光が薄明の空のようで白夜をイメージ出来るでしょう。

前向きだけどどこか寂しい

“君”を想うこと

君に会えなくなって 100年ぐらい経つけど
思い出せなくなって しまえば楽になれるの

出典: 白夜の日々/作詞:菅原卓郎 作曲:滝善充

Aメロでは君と会えない苦しい気持ちが表れています。

会えない日々はいつも感じている時間の流れより、とても長く感じるものです。

歌詞の“100年”は例えで、それくらい長い時間のように感じるのだと読み取れます。

100年も経ってしまえば色々な記憶が無くなりそうです。君のことさえもすっかり忘れてしまうでしょう。

「その方が楽だ」と思うくらいに長い間君のことを想っているのかもしれません。

しかし忘れるということは君の存在が自分の中で無かったことになるのと同じです。

前向きなように見えて、どこか寂しさが残るような歌詞になっています。

暗闇のない日々

日が沈まなくなった 白夜の街は今夜も
悪い出来事なんて どこにもない気がしたよ
空は澄み切って 嘘みたいなんだ

出典: 白夜の日々/作詞:菅原卓郎 作曲:滝善充

辛い悲しい出来事も美しい景色の前では忘れられるような気持ちになれます。

夜になると少し物思いにふけたり、センチメンタルになることもあるでしょう。

暗がりが自分の中にある不安や悲しみなどを助長させるのです。

しかし日が沈まない澄み切った白夜は、悩んでることがバカバカしくなる程の優しい光が射し続けます。

悩みなど最初から無かったかのように薄明の空が優しく包んでくれるようです。

優しい景色に救われ、どこか吹っ切れた様子が浮かんできます。

気付いたこと

いつか当たり前のような日々に流されて
すべて忘れても君に会いに行くよ

出典: 白夜の日々/作詞:菅原卓郎 作曲:滝善充

“君”は生きづらさの中の光のように感じられます。

普通が普通ではなくなってしまう出来事も、長い人生の中では起こりうるのです。

普通とされていた日々に突然制限がかかったり、これまでの常識が通用しなくなると人は戸惑うでしょう。

自分が「こうしたい」と思う事があってもなかなか思うように進まない毎日はもどかしさを感じます。

生きづらい世の中に光を見失ってしまう人もいるかもしれません。

ですが自分にとって大切な人だけは見失ってはいけないのです。

たとえ多くのものを失ってしまったとしても手を離してはいけないものがあります。

本当に大切な存在、守るべき存在に気付いたように読み取れます。