さて歌詞は冒頭部分に戻ります。
“歴戦の豪傑”などといわれるとつい歴史上のことを指しているのかと考えてしまいます。
「豪傑」とは一騎当千(いっきとうせん)の強者のこと。
一騎当千は1人で1,000人に値するほどの強さという意味で、要はそれだけ強いということです。
しかしこの歌詞は歴史上の誰かを指しているわけではありません。
ただ数々の女性を相手にしてきた男、くらいの意味でしょう。
そんな経験豊富な男でさえ、今目の前にしている女性にたいしては異常なほど興奮しているということです。
そして張りきって相手をしているため、いつも以上に汗をかいているのですね。
デーモン小暮閣下の詩は変に深読みすると意味を見失います。
ここでもそれっぽい雰囲気に仕上げられていますが、書かれている内容は普遍的な人間界のこと。
ぜひ参考にされてみてください。
何が凶器なのか
生まれたままの茜のふちどりは
凶器のように そぎすまされて
出典: 赤い玉の伝説/作詞:デーモン小暮 作曲:エース清水
その続きの歌詞です。
ここはいろいろな解釈があり得るでしょう。
「茜のふちどり」は、聖飢魔Ⅱのメンバーがしているメイクを指しているとも取れます。
信者の方々には「メイクではなく彼らの素顔だ」と指摘されてしまいそうですが…。
ちなみに信者とは悪魔用語で「ファン」のことです。
また、「生まれたまま」から男女どちらかの陰部を指していることも考えられます。
“茜(あかね)”は夕日などの赤色を意味するのですが、ここからは断定できません。
しかしそのあとの「凶器」「削ぎ澄まされる」などの表現から男性の可能性が高いかもしれませんね。
赤い玉を恐れる
美しく優しい女性
世にも艶やかな女神に見える
夢の中まで二人連れ
出典: 赤い玉の伝説/作詞:デーモン小暮 作曲:エース清水
さきほどのAメロ部分からサビへ入ります。
日本語として続いていたとしたら、茜色のものは女性のものだったことになります。
パートとして分かれているので、日本語としても一度区切られているのだとしたら別でも成り立つでしょう。
1行目の女神に見えているのものは、樋口可南子さんの背中に彫られた“弥勒菩薩”を思い出させます。
菩薩とは、冒頭でも触れたように「悟りを目指して修行している人」の意味です。
しかし「慈しみ」という言葉が元だともされていて、美しい母のような女性を菩薩と呼ぶことも。
ここでも、弥勒菩薩を宗教的なものと捉えるよりも、単に美しく優しい女性と考えるとよいかもしれません。
そして夢のような時間を2人で過ごすのでしょう。
空蝉
ほとばしる打ち止め気配
空蝉の幻が揺らめく
出典: 赤い玉の伝説/作詞:デーモン小暮 作曲:エース清水
1行目はすでに解説した通りの内容です。
2行目の“空蝉(うつせみ)”は、源氏物語における光源氏と恋に落ちた女性の名前。
または単に「幻のようなもの」や、あるいは「蝉の抜け殻」を指したりもします。
ここではそのあとに「幻」と補完しているので、空蝉は源氏物語をイメージしてもよいでしょう。
2人は、赤い玉が出てきてしまうのでないかと思われるほど何度も体を重ねたのかもしれません。
そんな極限状態で、相手の女性を空蝉に見間違えたのでしょうか。
激しく求めあう2人の男女の姿が想起されます。
2つの意味を持たせながら
最後の一滴
抜けば露散る氷の刃も
気づいた時は 最期の雫
出典: 赤い玉の伝説/作詞:デーモン小暮 作曲:エース清水
「抜けば」とあるのでおそらく男性のほうを指しているのでしょう。
「雫」と表現したいので「抜いた」のは「氷の」刃ということになっています。
雫のようにしたたるのは、打ち止めかと思われる精液のこと。
ついに赤い玉が出てきてしまうのでしょうか?