喰べかけの檸檬聖橋から放る
快速電車の赤い色がそれとすれ違う
出典: 檸檬/作詞:さだまさし 作曲:さだまさし
聖橋は東京都・御茶ノ水駅付近の大きなアーチ橋です。
聖橋という名前の由来は湯島聖堂とニコライ堂を結ぶ「聖なる橋」という意味にあります。
橋の下を流れるのは神田川。
橋の上にいるときはむしろその美しさに気が付かないもの。
川に船を浮かべて下から見上げた時に一番美しく映えるように設計された橋です。
御茶ノ水駅を通る中央線快速はこの歌が発表された当時は全面が朱色でした。
今もハイライトとして一部朱色が使われています。
黄色と朱色。
暖色同士が交錯する一瞬を綺麗に切り抜きます。
捨て去るものは遠く、高く
「君」はさだまさし好み?
川面に波紋の拡がり数えたあと
小さな溜息混じりに振り返り
捨て去る時には こうして出来るだけ
遠くへ投げ上げるものよ
出典: 檸檬/作詞:さだまさし 作曲:さだまさし
「君」みたいな風情のある女性像はさだまさしにとっての理想の投影でしょう。
実際にはこうした情緒は男女問わず現代ではかなり稀少な存在になっているはずです。
この歌を通して聖橋から神田川に檸檬を放ることが社会現象になればいいとさだまさしは考えていました。
彼の理想通りにはいかなかったのが現実です。
当時にしても不法投棄に当たるかもしれません。
アーティストが細かい法規に気遣いする姿は幻滅ですのでこうしたエピソードは微笑ましいですが。
「君」の言葉には捨てるものにもせめてもの餞(はなむけ)の仕種が必要だという想いが滲みます。
未練を残さないように遠くへ。
しかし愛情を持って上へ投げ捨てる。
日々の生活の中でこうした愛を実践できる人は素敵です。
高見沢俊彦が愛した「檸檬」
ふたりの交流の始まり
さだまさしが明石家さんまの「さんまのまんま」にTHE ALFEEとともにゲスト出演した際のエピソード。
坂崎幸之助がいいます。
「3人趣味が違うというでしょ。サイモン・アンド・ガーファンクル、吉田拓郎、レッド・ツェッペリン。
この3人の中で一番さださんの音楽を聴いていたのがレッド・ツェッペリンの高見沢なの」
高見沢俊彦がいいます。
「よく聴いていましたよ。“檸檬”とか」
さだまさし
「本当? 光栄だなあ」
明石家さんま
「“檸檬”? そんな歌あるの、どんな曲?」
高見沢俊彦
「ありますよ、”檸檬”。ものすごく難しい曲」
さだまさしが歌います。
川面に波紋の拡がり数えたあと
出典: 檸檬/作詞:さだまさし 作曲:さだまさし
明石家さんま
「暗い! “川面に波紋”って! もうちょっと”川に石投げたらポチャン”みたいな歌詞にしたらどうですの」
紙幅の関係でカットしましたがこのとき高見沢俊彦は自身もギター弾き語りで「檸檬」を口ずさみます。
おそらくこの日の収録を境にさだまさしと高見沢俊彦の本格的な交流が始まったはずです。
後に高見沢俊彦はさだまさしの楽曲の編曲などをいたします。
明石家さんまには「暗い!」とけなされた歌詞。
しかし若い頃に叙情的なフォークを歌っていた高見沢俊彦にとっては一番想い入れのある歌が「檸檬」です。
青春の屍に躓(つまづ)く街
渋谷のスクランブル交差点ではない
君はスクランブル交差点斜めに渡り
乍ら不意に涙ぐんで
まるでこの町は青春達の姥捨山みたいだという
ねェほらそこにもここにも
かつて使い棄てられた愛が落ちてる
時の流れという名の鳩が舞い下りて
それをついばんでいる
出典: 檸檬/作詞:さだまさし 作曲:さだまさし
今日の東京では渋谷駅前のスクランブル交差点が何かと祭りの会場になります。
しかしこの曲「檸檬」に登場するのは御茶ノ水駅近辺のスクランブル交差点です。
御茶ノ水駅前のスクランブル交差点なのか神保町と交わるスクランブル交差点なのかは分かりません。
御茶ノ水は大きな街ですから近辺にはいくつかのスクランブル交差点があります。
1978年の都市の感触では御茶ノ水の方が渋谷よりも活気があったはず。
東京でも屈指の学生街です。
街には生気も漲っていたはずですが「君」はどうしてかそこに屍を視ます。