きっと僕たちが想像した未来は
幼い頃見つけた石ころみたいに丸っこくて
変な傷跡なんかもなくてさ
平和っていう漢字の通りなんだって思っていた
出典: 葵/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
冒頭の歌詞です。ここでは13年前の地点から見た未来の話が歌われます。
13年前「あおい」は幼いながら姉と「慎之介」の仲睦まじい姿、「慎之介」のバンド練習の様子を見ています。
そこから広がる未来は丸い石ころのように角がなく平和なものでした。
「思っていた」という言い回しには「けどそうじゃなかった」というニュアンスが隠されているでしょう。
夢に溢れた旅立ち
肝心な凡人は夢を追って島を出た
胸に夢って書いて飛び出したあの大海原へ
変に泣いたって空気が濁るからさ
じゃあねって言う またねって言う
石ころを空に投げた
出典: 葵/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
ここでは「慎之介」が上京していってしまったことが描写されています。
夢を追い出て行くのを涙を見せずに見送りました。
「石ころ」は直前のパートで平和な未来の象徴として歌われています。
それを空に投げた、という表現は思い描いていた未来が離れてしまったことを表しているのでしょう。
「大海原」が意味するのは東京です。
作中では「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」ということわざが印象的に登場します。
これは一般的に「井の中の蛙」と省略してネガティブな使い方をされることも多いことわざです。
しかし作中で強調されるのはタイトルどおり「されど空の青さを知る」の部分。
地元という「井戸」を飛び出した「慎之介」は地元で見ていた空の青さを覚えているのでしょうか。
巧みな言葉遊びと比喩表現
巨大な力で潰されそうな
孤独には その毒には
独特の世界を呼び起こす
魔法があるよ
出典: 葵/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
物語に寄り添いながらも【葵】にはあいみょんならではの歌詞センスが溢れています。
「石ころ」という比喩を用いた冒頭部分に続いて、ここではリズミカルな言葉遊びが炸裂。
「孤独」と「毒」と「独特」という言葉を見事に操り歌詞を紡いでいきます。
孤独は辛いことだけど、それにより独自の世界を表現できる。
これは「あかね」に共に上京することを断られ「慎之介」が単身上京したことを表しています。
そしてあいみょん含むソングライターの本質を言い得ているフレーズでもあるでしょう。
少年の影とは
少年の影
サヨナラ いつかの少年の影よ
また会おうな まだただいま
言える場所はとっておくぜ
出典: 葵/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
サビで歌われる「少年の影」はこの曲において非常に重要なワードです。
作中では「しんの」と呼ばれる物語のキーパーソンとなる存在が登場します。
その正体は「慎之介」の高校生時代の生霊。13年前の姿と、当時の心を持った生霊です。
高校生の姿のままの「しんの」と高校生になった「あおい」が出会うことで物語は加速していきます。
この曲の歌詞に登場する「少年の影」はその「しんの」を表しています。
では何故その「少年の影」に別れを告げなければならないのでしょうか。
涙の色
この大空の青さを瞳のパレットに
潜らせて 包み込んで
涙さえも味方に
出典: 葵/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
別れの表現にもあいみょんならではの素晴らしい比喩が使われています。
【空の青さを知る人よ】という映画タイトルのとおり「空の青さ」は作品の重要なテーマです。
それは青春時代の純粋な気持ちや未来への希望を表しています。
それを「知る人」は作中では「あおい」と「しんの」です。
別れの涙はその「空の青さ」を溶かしたものだと歌われます。
青春と希望の色が溶けた涙は前向きな別れを表していると考えられるでしょう。
少年の影への別れと帰る場所
サヨナラ あの日の少年の夢よ
また会おうか まだただいま
言えるくらいの余裕はあるだろ?
この大空の青さを心のオアシスにして
泳いで 潜り込んで
また帰っておいで
だから今は
サヨナラ 少年の影よ
また会おうな またただいま
言える場所はとっておくぜ
この大空の青さを瞳のパレットに
潜らせて 包み込んで
涙さえも味方に
出典: 葵/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん