「魔法少女と呼ばないで」と異様な現実
2012年10月24日発表、アーバンギャルドの通算5作目のアルバム「ガイガーカウンターカルチャー」。
2011年3月11日以降のポップ・ロックを提示した重要な作品です。
このアルバムのオープニング・チューン「魔法少女と呼ばないで」に注目しましょう。
浜崎容子によるあどけない声で歌われるポップ・ソングです。
しかしバック・トラックはゴリゴリのハードコア・パンクのような趣に仕上がっています。
このボーカルとバック・トラックの乖離の印象は歌詞の解釈にも非常に大切なヒントになるのです。
日本のkawaii文化は全世界に発信されて巨大なビジネスにまで成長しました。
しかし「魔法少女と呼ばないで」はそこにある罠について深い考察をしています。
なぜわたしはいずれ復讐されてしまうのでしょうか。
気になるタイトルについても深く読み込みたいです。
2012年の発表から数年を経ていますがこの曲で示された批評精神は未だ有効でしょう。
アーバンギャルド、松永天馬が見据えていたものは何だったのか。
新しいディケイドが始まってもなお深く突き刺さるこの曲の歌詞を紐解きます。
それでは実際の歌詞をご覧ください。
kawaiiという文化資本
かわいい国のかわいい戦争
かわいい地獄みせてあげる
醜い国の醜い平和
コインのバレットが飛びかう街で
出典: 魔法少女と呼ばないで/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬
歌い出しの歌詞になります。
かわいい国も醜い国もこの日本のことを指すのです。
松永天馬は日本を舞台にしながらも戦場として歌詞に描き出します。
日本は厳しい競争社会です。
「魔法少女と呼ばないで」も競争の在り方を誇張して戦場として描きます。
いったい日本社会はどのような競争しているのでしょうか。
もちろん熾烈な資本主義の競争も描いています。
バレット、つまり弾薬は金銭であると松永天馬は表現するのです。
日本社会の特殊性は「資本主義原理の過剰貫徹」といわれています。
難しい言葉ですが柔らかい表現にすると何でも巨大資本のなすがままにされているということです。
松永天馬はこの土壌に咲いたひとつの花に注目します。
それが日本社会固有のkawaiiに執着する文化です。
女性の多くがこのkawaii文化に翻弄されています。
kawaiiを旗印に資本は様々なイメージを女性たちに刷り込もうとするのです。
大人の女性よりも可愛い少女が愛される社会。
これは男性原理が深く貫かれている土壌でこそ持て囃される傾向でしょう。
しかし肝心の女性たちもこの風潮に置いて行かれまいと競争をしているのです。
松永天馬が日本を戦場として描いたのは少女性を獲得するための女性たちの熾烈な競争の姿でしょう。
多くの女性たちがkawaiiを体現するための競争に翻弄されています。
諸外国からこの国を客観的に見ると異質なものとして認識されるでしょう。
中には日本を幼稚な社会だと非難する人もいるのです。
もちろん海外で日本のkawaii文化は一定の支持を得ています。
日本の広告業界はこの傾向を手玉に取って女性たちを盛んに競わせるのです。
シェルターの中まで戦場
311後の世界観がベースになっている
絶望という魔法ください
希望という嘘はいらない
デパートの地下核シェルターは
あなたとわたしの戦場
出典: 魔法少女と呼ばないで/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬
松永天馬は日本の現状をディストピアとして描きます。
東日本大震災後にクリエイターたちの創作物の雰囲気が一変しました。
日本の繁栄というものはまぼろしだったのかと日本人は自覚させられて戦慄した結果です。
2012年に発表されたアーバンギャルドの「ガイガーカウンターカルチャー」。
このアルバムはそうした日本の安全神話は「全部ウソだったのか」という思いを忠実に反映しています。
松永天馬はあの時期の空気に敏感に反応して希望は虚構なのだと喝破します。
無事だった東京の巨大なデパート群の地下街は核戦争に備えるシェルターとして描かれるのです。
シェルターは元々、そこに避難すれば安全だとされる場所でしょう。
しかし「魔法少女と呼ばないで」のわたしとあなたはこの安全な避難先までも戦場にするのです。
しかし現実が過酷であったという事実こそがこうした作品世界を生み出します。
絶望はまぼろしではありませんでした。
未曾有の原発事故などを含む怖ろしい現実の前で私たちは慄いていたのです。
歳をとれない魔法少女たち
子どもになれる魔法かけてよ
大人になれるミラー見ないで
フルーツパフェかきまぜるように
わたしをあなたの好きにして
出典: 魔法少女と呼ばないで/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬
多くの女性が十代、二十代の若さを保とうと必死になっています。
可愛いと呼ばれるために様々な情報を漁って他の女性を出し抜くための競争をするのです。
美しさというものは何でしょうか。
歳を重ねるほどに美しくなるものだってあるでしょう。
知性が顔に顕れている女性は美しいです。
しかし多くの女性はこうした内面的な美しさよりも別の価値を競い合います。
表面的な若さというものに執着し続けるのです。
できたらローティーンの頃のような肌のハリが欲しいと願います。
年輪というものへの理解を欠いて若さばかりを至上の価値とする傾向を松永天馬は執拗に描くのです。
この曲での「魔法少女」とは何でもできちゃう不思議な娘のことではありません。
自分に魔法をかけて自身を少女だと思い込みたい女性たちのことを指します。
大人の女性になるよりもいつまでも可愛い女性でいたいという思い。
松永天馬はこの思い自体を幼稚ではないかと考えているようです。
また自身のなりたい少女の姿はあなた好みに任せます。
そこに本当に自分というものがあるのかと松永天馬は問いかけているのです。
わたしは誰?
魔法少女はモンスター
ステッキは血だらけ ペンダントは砕けて
なりたいわたしになれないわたしは誰なのおしえてよ
出典: 魔法少女と呼ばないで/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬