ここも上と同じように、自分らしさを深めていく印象があります。

具体的に書くと、「他人の見方」「他人の意見」を手放したのでしょうか。

多数決に慣れている私たちは、大勢に従っていれば安全と思いがちです。

しかしそれでは、個性を発揮することはできません。

すべてを大衆に合わせていると、自分が何のために生きているのか分からなくなります。

違和感を覚えたら、価値観の見直しの時かもしれません。

また文頭に「もう」いらないとある部分も大きなポイントです。

手放した価値観の中には、かつて役に立ったものもあったのでしょう。

しかしあいみょんさんは成長し、その価値観は不要になった

だから潔く手放す。

あいみょんさんのきっぱりした勇気が感じられます。

成長の中の葛藤

大人になるたびに
夢見てばかりの自分が嫌になり
数えられるほどの
痛みと苦しみでかき消すんだ

出典: 19歳になりたくない/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん

人生の夢や目標は、何歳で持っても楽しいものです。

同時に年齢を重ねるにつれて、自分の考えの甘さにも気づかされます。

思い切り現実主義バランスがとれていくのでしょうか。

主人公は過去を振り返って自己嫌悪に陥っているようです。

自分を叱りすぎることはしませんが、健全な反省をしています。

逃げていたのは過去のこと

現実逃避を 繰り返す日々は
思えば楽だった 最高の友達でした

出典: 19歳になりたくない/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん

授業中に、あれこれ考え事をした方もおられるかもしれません。

先生の話を聞かなければいけないのは分かっているけれど、考え事にふけってしまう。

「こうなったら良いのに」と考える。

それは厳しい言い方を選べば「現実逃避」と呼ぶこともできるものです。

歌の主人公は想像力が豊かで、いろいろなことを考えていたのでしょうか。

ある種息苦しくもある学校生活の中で、空想遊びができれば退屈が紛れます。

空想に実体はありませんが、歌詞の通り友達に感じられたのでしょう。

しかし成長するにつれ、空想・想像しているだけではいられなくなっていきます。

辛いことがあるから逃げたくなるわけですが、逃げているだけでは何もできません。

自分が実現したいことのために、とどまって頑張らなければならない時があります。

それを経験すると、空想と遊んでいた時を「楽だった」と思うのでしょうか。

忘れたい? 忘れたくない?

2つの意味が考えられる歌詞

18の今言えることは一つ
あの日の記憶は消えますか

出典: 19歳になりたくない/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん

ここはシンプルなようでもあり、深読みもできそうな歌詞です。

記憶が消えることは、主人公にとってどんな意味を持つのでしょうか?

2つの意味を順に考察してみます。

考察1 忘れたいことがある

「若気の至り」という言葉があるように、誰にでも恥ずかしい過去があります。

当時は得意満面でも、振り返ると顔を覆いたくなる。

それは多くの人が経験していることではないでしょうか。

1つ目の考察は、「過去を忘れることができる?」と問いかけている説。

恥ずかしいことを忘れて、大人になれるだろうかと考えているのかもしれません。

考察2 忘れたくない

2つ目の考察では、意味が全く変わります。

「大人になったら、昔のことを忘れてしまうの?」

祈りを混ぜて問いかけているという説です。

子どもの頃のことをまるきり忘れてしまった大人が大勢います。

彼らは目の前の子どもが考えていることが分からず、子どもが苦手になってしまいます。

「自分が子どもの頃は、何を考えていたかな?」

思い出せなくなり、子どもに共感できなくなっているのかもしれません。

一概には言えませんが、彼らは大人になろうとした大人なのではないでしょうか。

大人になるとは、子どもではなくなること。

だから自分の「子供っぽい」と思えるところを否定し排除していったのです。

結果、共感力まで鈍らせてしまったのかもしれません。

忘れたい過去や気持ちは、同時に人に共感する材料にもなれます。

すべての出来事を忘れずにいることはできません。

同時に、過去に起こったすべての出来事は、大切な記憶でもあります。

歌の主人公は共感力を大切にしたいと思っているのでしょう。