椎名林檎「罪と罰」のPVを見てみよう


「罪と罰」は林檎さんが化膿性炎症を患ったときに、病床で作られた作品です。

そこに「幸福論」の可愛さや「本能」の色っぽさは微塵も感じさせません。あるのは悲痛な叫び声に近い歌声と暗い日々。

「罪と罰」といえばロシアの偉人ドストエフスキーの同タイトル文学が連想されます。「大地に接吻せよ」で有名です。

しかしここで出てくるのはドイツ製のベンツ。

それでもオイルや煙草、ブーツなどソ連的要素もあるように思われます。

複数の解釈ができるのが、林檎さんの楽曲に全く飽きない理由のひとつですね。

まっぷたつにされたベンツは、実は林檎さんが実際に乗っていた愛車なのです。

過去をぶった斬ったという暗示も感じさせます。

「罪と罰」ライブ動画はこちら

終始苦悶の表情を浮かべ、今にも崩れ落ちるか泣き出しそうな林檎さん。

こちらの胸もキリキリと痛み、息苦しさを感じてしまいます。

オーケストラバージョンでもにじみ出る悲痛な嘆きに鳥肌。

「罪と罰」歌詞解釈をしてみよう


それでは退廃感たっぷりの「罪と罰」の歌詞を見ていくことにしましょう。

一見失恋の曲かなと思ってしまいますが、病や音楽活動、「椎名林檎」としての自分との葛藤などを感じてみてください。

いつもと変わらない一日の終わりの朝

頬を刺す朝の山手通り 煙草の空き箱を捨てる

出典: https://twitter.com/SheenaJihen_bot/status/896433139286802432

頬を刺すのは、朝日か朝の冷えた空気を連想させます。

煙草の空き箱は、たいていの人にとっては一日の始まりである朝に自宅に帰る、疲れきって空っぽの自分を意味していると考えられます。

今日もまた足の踏み場は無い
小部屋が孤独を甘やかす

出典: https://twitter.com/SheenaJihen_bot/status/896433139286802432

朝、自分の部屋に帰ってきた。

今日もまた同じような一日を終えてしまったけど、散らかった部屋は落ち着くものだ。

そんな気だるさや寂しさ、光の見えない毎日を連想させる部分です。

感傷的にならず今だけを見よう

不穏な悲鳴を愛さないで
未来等見ないで
確信出来る
現在だけ重ねて

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=65586

不穏な悲鳴はつまり感傷的な気持ちを表しているのでしょう。自分でもわけわからず叫んでいるイメージ。

つまり、センチメンタリズムに浸らないでということ。

未来ではなく、今このときだけを見て生きて。そう自分に言い聞かせているようです。

でも誰かわたしの存在を認めて