映画『スワロウテイル』の世界観
余韻を残すCharaの歌声
“Once upon a time~”という語りで始まる映画『スワロウテイル』には不思議な魅力がありました。
監督の岩井俊二が描くのは、架空の街“円都(イェンタウン)”に暮らす移民たちの物語です。
彼らの使う中国語や英語、そして日本語混じりの言葉は見るものを異世界へと引き込みます。
聞き慣れない言葉は、音楽と共に“音”として重要な役割を果たしているのです。
映画は音と映像の総合芸術ですから、言葉もその世界を形作る大きな要素のひとつなのだと思います。
主役のひとりを演じたCharaは、劇中でも歌手として個性的な歌声を披露してくれました。
彼女の声は甘いけれど少しだけ枯れていて、独特な魅力を持っています。
あまり大人っぽい声や透き通った声では、この映画の混沌とした世界観に合わなかったでしょう。
ラストに流れる「Swallowtail Butterfly ~あいのうた~」は、切ないメロディーが素敵な曲でした。
Charaのキャラクターと声は映画にも曲にも見事に調和していて、映画を見終わった後に余韻を残してくれます。
この曲と映画に共通する不思議な魅力とは、いったい何なのでしょうか。
歌詞を見ながら考えてみたいと思います。
移民たちが異国の地で想うものとは?
アゲハ蝶は儚さの象徴
止まった手のひら ふるえてるの 躊躇して
この空の 青の青さに心細くなる
信じるものすべて ポケットにつめこんでから
夏草揺れる線路を 遠くまで歩いた
出典: Swallowtail Butterfly~あいのうた~/作詞:岩井俊二・Chara・小林武史 作曲:小林武史
最初の行で省略されているのは映画のタイトルになったスワロウテイル、つまりアゲハ蝶です。
素敵な歌声を持つ娼婦グリコを演じるCharaの胸に彫られているのは、アゲハ蝶のタトゥー。
グリコからアゲハと名付けられた少女がもうひとりの主役で、物語はこの二人を軸に展開します。
ひらひらと飛んできたアゲハ蝶は、儚さの象徴なのでしょう。
か弱くすぐにどこかへ飛んで行ってしまいそうな、美しいけれど不安定な存在です。
より良い生活を求めて、お金を稼ぐためにイェンタウンにやってきた移民たちの象徴でもあるのです。
どこからかやってきて不安定な生活の中で生きていく。
そして異国の地で命を落としたり、いつのまにかどこかへ消えてしまったりする。
そんな移民たちの姿を、アゲハ蝶に重ねているのだと思います。
“青”を2回重ねたのは、美しいものに憧れる気持ちを表しているのでしょうか。
それは故郷の青い空の色でもあり、晴れ渡った空のような心地の良い生活でもあります。
だけど透き通るような美しい色の先には、具体的につかめそうな幸せはどこにもありません。
だから不安になってしまうのです。
下の段の歌詞は、まだ夢を持っていた幼い頃の姿を描いています。
映画の冒頭で母を亡くした少女アゲハは、その夢を思い出すこともできないでしょう。
蜃気楼は見果てぬ夢
追いかけても消えてしまう?
心に 心に 傷みがあるの
遠くで蜃気楼 揺れて
あなたは雲の影に 明日の夢を追いかけてた
私はうわの空で 別れを想った
出典: Swallowtail Butterfly~あいのうた~/作詞:岩井俊二・Chara・小林武史 作曲:小林武史
誰もが心に辛い思いを抱えているはずです。
その日を生きるのに精一杯で、明日どうなるかも分からない移民たちであれば尚更でしょう。
ゆらゆらと揺れる蜃気楼は、不安定な生活や手の届かない見果てぬ夢の象徴なのだと思います。
主人公が愛する人も夢を持っていました。
しかし苦しい生活の中で彼女は、彼の夢が叶うはずがないと思っているのではないでしょうか。
夢を追いかけている彼は、眩しいというよりも悲しく映っているのかもしれません。
いずれは消えてしまう蜃気楼を追いかけているような彼の姿は、彼女から見るとぼんやりしています。
夢が叶うとしたら、それは別れる時なのかもしれない。
本当はいつまでも一緒にいてほしい。
そんな気持ちを“うわの空”という言葉で表しているのでしょう。
映画の主人公たちは偽札で儲けたお金を元に、イェンタウン・クラブというライブハウスをオープンします。
そこで歌うのがChara演じるグリコで、バックを務めるのがYEN TOWN BANDです。
ライブハウスのオーナーはグリコの恋人ですが、叶ったかに思えた彼の夢はあっけなく崩れてしまうのです。
厳しい世界に響く歌
救いを与える“あいのうた”
汚れた世界に 悲しさは響いてない
どこかに通り過ぎてく ただそれを待つだけ
体は 体で 素直になる
涙が止まらない だけど
ここから何処へいっても 世界は夜を乗り越えていく
そしてあいのうたが 心に響きはじめる
出典: Swallowtail Butterfly~あいのうた~/作詞:岩井俊二・Chara・小林武史 作曲:小林武史
犯罪や裏切りが日常茶飯事であれば、冷めた目線が生まれてくるのも当然でしょう。
お金を稼いで故郷に帰るまでは何とか生き抜かなければならないのが、移民たちが暮らす厳しい世界です。
今日も知り合いの誰かが酷い目にあったり、死んでしまったりするかもしれません。
明日は我が身かもしれないのです。
その度に悲しんでいる暇はないし傷ついている暇もない、というのが上の段の歌詞です。
ただ心でそうは思っているつもなのに、体が反応して泣いてしまう。
完全に悲しみを無視することはできません。
そんな状況を救ってくれるのが“あいのうた”です。
グリコは歌うことで自らを解き放って自分自身を救い、彼女の歌は聴く人たちの辛い日常を忘れさせます。
英語と平仮名の曲名は、様々な言葉が飛び交うイェンタウンに相応しいのではないでしょうか。
下の段の歌詞からは、混沌とした世界に差す希望の光を感じることができます。