抵抗のしようがないので、結局歯は虫歯にされてしまいました。
動けないのですから虫歯菌からすれば良い的です。
「きみ」はこうなることを知らなかったのでしょうか。
知っていたとしても、それ以上に歯磨きするのが面倒くさかったのでしょう。
眠かったとか忙しかったとか、色々な理由をつけてサボってしまったのです。
その気持ちは分からなくもありません。
そもそも歯磨きしたって、きちんと歯についた食べ物のカスを取り除けるかはまた別の話です。
ですがそれで虫歯にされる歯のことを思うと、何とも切ない気持ちになりますね…。
しかも虫歯が悪化すれば、「きみ」もまた痛い思いをします。
穴だらけになってしまっても
ねえ ぼくが みにくい
すがたに なったとしても
ねえ きみは ぼくを すきで
いてくれる?
出典: はの うた/作詞:朝日恵里 作曲:長岡亮介
虫歯で穴が空いてしまった歯は、見るも無残な姿になってしまいました。
早く治療しなければ痛みが出て、しまいには抜かなければなりません。
こんな姿になってしまった主人公は、とても悲しい気持ちでいっぱいでしょう。
「きみ」が歯磨きしなかったのが原因ですが、それでも歯は持ち主を憎みませんでした。
それどころか、「好きでいてくれるか」と問いかけます。
自分の歯が好きかどうか、考えたことはありますか?
世代や性別問わず考えたことがある人もいれば、ない人もいるでしょう。
とはいえ、歯がなければ人間生きていけません。
ものを食べられなくなってしまうからです。
その重要な存在意義を知れば、嫌いになることもないと思われますが…。
「きみ」は多分、考えたことがなさそうですね。
考えたことがあるなら、しっかり歯磨きをしている筈です。
持ち主である「きみ」へ
主人公の歯は、自分の持ち主である「きみ」のことを少なくとも憎んではいませんでした。
それどころか愛を求めています。
やがて歯は、自分に何もしてくれない「きみ」にあるメッセージを送ります。
大好きなあなたを守れない
くやしい くやしいよ
ぼくは きみを まもれない
きみを こんなに
だいじに おもっているのに
出典: はの うた/作詞:朝日恵里 作曲:長岡亮介
歯は菌にされるがまま虫歯になるしかない自分の境遇を嘆きます。
いずれ虫歯は痛みとなり、「きみ」を苦しめるでしょう。
歯医者さんに行くことだって苦痛ではないでしょうか。
大人だって歯医者さんに行くのは辛いのですから。
歯は「きみ」のことをとても大切に思っています。
だというのに、自分がその大切な人を苦しめる原因になってしまいました。
それは確かに悔しいですし、悲しい筈です。
元はといえば「きみ」が歯磨きを怠ったことなのに、歯は自分を責めています。
歯は何も悪くないからこそ、この嘆く様は見ていて辛いものです。
歯のメッセージ
ねえ ぼくは きみに
だいじにされなくても
ねえ ムシバキンに わらわれようと
ここにいるしかないんだ
出典: はの うた/作詞:朝日恵里 作曲:長岡亮介
歯磨きしないということは、歯を大事にしないということになります。
それで虫歯になって、細菌に「うわみにくーい!」と指さされて笑われるのです。
ここまできても、歯はその場にいるしかありません。
自らの意志で動くことができないのですから。
その場に留まるしかなくて、「きみ」に痛い思いをさせてしまいます。
ただ事実を述べているだけにも読めますが、これは「自分を大事にして」というメッセージではないでしょうか。
これは「きみ」の口にある歯だけの話ではありません。
きっと生きとし生ける人間に生えている、多くの歯も同じことを感じていると思われます。
歯の悩み
一番の悩みは虫歯にされることではない?
歯は自分が虫歯にされて、大切な人を守れないと非常に悲しんでいました。
しかしながら、虫歯にされたのは結果でしかありません。
歯が悩んでいるのは「虫歯にされてしまったこと」ではないのです。
そのそもの悩みは、「きみ」が自分を大事にしてくれないことではないでしょうか。
もう少し具体的にいうと、歯磨きしてくれないこととなります。
誰だって、大事な人からは自分も大事にしてもらいたいと思う筈です。
歯だって、「きみ」が日頃ご飯を食べるのを手伝っています。
さらにいうと、歯は言葉を話すのにも一役買っているのです。
ここまで助けているのに、当の相手が大事にしてくれなかったら…。
歯の悩みは、その持ち主にまで大きく影響します。