日曜日の夕方、国民的アニメを見ると憂鬱になるという人がいます。
日曜日の終わりとは平日の始まり。
平日の始まりは多くの人にとって休みの終わりです。
休みの次の日って起きることが普段よりきついもの。
「ああ、もう一度眠りたい」と思うことは1度や2度ではありません。
そうはいってもお金がなければ生活はできず、稼ぐためには仕事に行くしかなく。
ずっと布団の温もりに包まれているわけにはいきません。
嫌だと思いながらも体は仕事に行く準備をして何も考えず習慣の通りに行動する。
それは間違いなく楽な行為ともいえるものです。
さて、そこに自分の意志はあるのでしょうか。
人間の好き嫌い、食べ物の好き嫌い
野菜は嫌 ハンバーグが好き
麦茶は嫌 ジュースが好き
甘えんな でも甘味は好き
生前の1ページ
出典: すきなことだけでいいです/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
好き嫌いはよくないと子供の頃、周りの大人に言われました。
そうはいっても大人になっても好き嫌いはあるものです。
むしろ大人になったらかえって偏った食生活を送ることも。
ただ、味覚の好みと日常における好みは同じとは限りません。
甘いものが好きな人でも自分に甘い言動ばかりの人は嫌います。
辛いものに目がなくても辛口なコメントにはうんざりすることだってあります。
味にかかわる表現を人に使うことはありますがあまり良い意味では使われません。
食べ物の好き嫌いが多い人は人間の好き嫌いも多いといいます。
しかし嫌いな食べ物以上に嫌いな人間の方が避けることは難しい。
もしもそんな人がいつも行く場所にいたら……。
休みが終わるのがよりいっそう嫌になります。
価値観は人それぞれ
好きなもの、嫌いなものは人それぞれです。
誰かの好きなものは誰かの嫌いなものでその逆もまたしかり。
それが自分にとってもプラスに働くだけならばいいのですが。
普通は異常
天使は嫌 悪魔が好き
天国は嫌 地獄が好き
あべこべだった 君の趣味
人それぞれのクレイジー
出典: すきなことだけでいいです/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
相手はセロリが嫌いだけれど自分はセロリが好き、ということは往々にしてあります。
価値観は人それぞれですから。
一般的に「悪い」というものに惹かれたり、「良い」と思われているものに反感を覚えることもあります。
人の趣味は人それぞれ。
何が好きであろうと元来とがめられることではないのです。
「良い」も「悪い」も流動的なものであって絶対的なものとは限りません。
好き嫌いは結局のところ主観でしかないのです。
だから自分が普通と思うことでも人にとっては異常に見えるかもしれません。
勿論、その逆もあり得ます。
嘘がなければ生きていけないけれど
生物は嫌 機械が好き
リアルは嫌 虚像が好き
偏っていた 君の趣味
悪化して思考停止
出典: すきなことだけでいいです/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
生物とは生身の人や動物、実際に接する「動く存在」。
機械はパソコンやゲーム、自分から動くことのない「物」です。
生物は悪口を言ったり、吠えてくることもありますが、機械はそんなことはしないでしょう。
画面1枚隔てた先は画面1枚分、優しいように錯覚してしまいがち。
画面に映る架空の世界は厳しい日常を一時だけでも忘れさせてくれます。
現実なんて向き合わず外にも出ず、ずっと優しい嘘に囲まれて過ごす日々を夢見てしまいます。
こう書くと機械や虚像が悪いもののように見えてくるかもしれません。
実際は決して悪いものではなく生活の風通しを良くする素敵なものです。
現実だけでは息苦しくなってしまいますから。
フィクションは、健全な生活のためには必要不可欠なもの。
バランスを崩し行き過ぎたらただの害悪になりますが。
思考停止に成長阻害
視野の狭さは致命的
好きなことだけ見つめて
だんだん 視力が弱くなる
好きなことで満たされて
だんだん 頭が悪くなる
出典: すきなことだけでいいです/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー
好きなものはジュースに肉にお菓子にゲーム。
確かに過ぎてしまったら目にも頭にも体にも悪そうです。
しかし、ここでは単純に視力や勉学のことを指しているのでしょうか。
限られたものだけに関心を持つ。
これは視野を狭めることに繋がります。
また視野の広さは自身が得る知識や行動にもかかわってきます。
ところで嫌なことよりも好きなことの方が疑問も反抗心も持ちにくいものです。
自分にとって好ましいからと疑問も持たずに受け入れる。
これは、1種の思考停止です。
思考を停止していたら育つものも育ちません。
自分が嫌いなものは誰かの好きなもの
好きなことに囲まれて
嫌なことが許せなくなる
好きなことだけで生きて
どこかの誰かに恨まれる
出典: すきなことだけでいいです/作詞:ピノキオピー 作曲:ピノキオピー