1番の歌詞の解釈

どれくらいの値打ちがあるだろう?
僕が今生きているこの世界に
すべてが無意味だって思える
ちょっと疲れてんのかなぁ

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A03220

主人公である「僕」の自問自答から歌が始まります。

この世界に価値はあるのだろうか、と。

ちょっと疲れてるなんて言っていますが、普通はこんな問いを投げかけませんよね。

大きな失敗だとか、後悔するようなことが起きたのかもしれません。

手に入れたものと引き換えにして
切り捨てたいくつもの輝き
いちいち憂いていれるほど
平和な世の中じゃないし

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A03220

後悔するようなこととは何でしょうか。 歌詞には、「切り捨てたいくつもの輝き」とあります。 例えば、仕事やお金のために友人や恋人を切ったり、生活のために夢を諦めたり。 もしくは、新しく誰かを好きにり、今まで一緒にいた恋人を捨ててしまったのかもしれません。 主人公は、自分を正当化するように強がって、それを気にしないような素振りを見せます。 しかし本心では、おそらく自己嫌悪のような感情が芽生えているようにも思えます。

一体どんな理想を描いたらいい?
どんな希望を抱き進んだらいい?
答えようもないその問いかけは
日常に葬られてく

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A03220

じゃあ、どうすればよかったんだろうかと、自分への問いかけは続きます。 社会的・道徳的に正しいことが、いつも自分の感情と折り合うわけではありません。 間違ったり正しくないことだとしても、それが心を満たしてくれた経験はないでしょうか。 結局答えは見つかりませんが、時間がたつにつれ、その問い自体も、生活の中で忘れ去られてしまうことでしょう。

君がいたらなんていうかなぁ
「暗い」と茶化して笑うのかなぁ
その柔らかな笑顔に触れて
僕の憂鬱が吹き飛んだらいいのに

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A03220

ここではじめて「君」というもう一人の人物が登場します。 これはおそらく恋人でしょう。 こんな僕の憂鬱を、笑い飛ばしてくれるような存在だったようです。 でも、彼女はもういない。 だから、僕のこの暗い気分も吹き飛んでくれない。

決して捕まえることの出来ない
花火のような光だとしたって
もう一回 もう一回
もう一回 もう一回
僕はこの手を伸ばしたい
誰も皆 悲しみを抱いてる
だけど素敵な明日を願っている
臆病風に吹かれて 波風がたった世界を
どれだけ愛することができるだろう?

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A03220

もう一回この手を伸ばしたいとはどういうことでしょう。

何のために手をのばすのでしょう。

彼女の笑顔にもう一度触れたいと思っているのではないでしょうか。

その柔らかな笑顔は、タイトルでもある「花火」に例えられています。

それに決して触れられないとわかっていても、僕は手を伸ばしたいと強く思っているようです。

そして、彼女のいない世界を、僕は愛することができるだろうかと、再び自分に問いかけています。

悲しい未来を望む人なんていないし、僕もそうなんだけど、どれだけ素敵な明日だったとしても、彼女がもういないのに愛せるのだろうかと。

主人公のせつない恋心や諦めや未練など、いろんな感情が聞き手に突き刺さってくるようです。

2番の歌詞の解釈

考えすぎで言葉に詰まる
自分の不器用さが嫌い
でも妙に器用に立ち振舞う自分は
それ以上に嫌い

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A03220

2番では、主人公の性格が少し提示され、その存在感にリアリティーを加えています。 内向的だけど、それなりに上手くこなせてるのでしょう。 サビでは、「臆病」ということも書かれていましたので、彼の性格がなんとなく分かるような気もしますね。

笑っていても
泣いて過ごしても平等に時は流れる
未来が僕らを呼んでる
その声は今 君にも聞こえていますか?

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A03220

ここらへんはありきたりな表現かもしれません。 でも、注目すべきは「僕ら」という二人称が使われていることです。 「未来」というのは、もちろんサビにも出てきた「素敵な明日」のことでしょう。 そして、面白いのは、「僕ら」というのが、僕と君と言う意味ばかりではなく、リスナーに向けた呼びかけと捉えることができるということです。 つまり、「君=リスナー」という視点で見ることもできるのかもしれません。

さよならが迎えに来ることを
最初からわかっていたとしたって
もう一回 もう一回
もう一回 もう一回
何度でも君に逢いたい
めぐり逢えたことでこんなに
世界が美しく見えるなんて
想像さえもしていない 単純だって笑うかい?
君に心からありがとうを言うよ

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=A03220