『あした世界が終わるとしても』
あいみょんが同名アニメ映画のために書き下ろし
大の『クレヨンしんちゃん』好きとして知られるあいみょん。
2019年には本人も待望の劇場版『クレヨンしんちゃん』の主題歌に選ばれ大喜びです♪
実はあいみょんがアニメ作品に主題歌を書下ろすのは初めてではありません。
2019年1月に公開されたアニメ映画『あした世界が終わるとしても』に同名の主題歌を書き下ろしているのです。
あいみょん節ともいえる弱い男性目線のラブソングである『あした世界が終わるとしても』。
すでに多くの方が耳にしていることでしょう。
もちろん楽曲単体でも素晴らしい作品なのは間違いありません。
しかし『あした世界が終わるとしても』はアニメ作品と密接な関係を持って制作された曲。
前提条件としてこの作品について触れておくことでより多層的な味わいを楽しむことができるのです。
実質的なMVとなった予告編から見える多重構造
実際に映画をご覧になった方はあいみょんが仕掛けたであろう多層的な視点にも気づいたことでしょう。
主人公の視点で歌われていると思われた“僕”という主語は様々なキャラに当てはめられることができるのです。
未見の方は実質的なMVといっても差し支えないであろう映画の予告編を見てみましょう。
何気ない高校生のラブストーリーと思わせ突如始まる「ジャガーン」のようなディストピア的世界観。
若手映像作家・櫻木優平監督の初の長編映画となる『あした世界が終わるとしたら』。
あいみょんは絵コンテやシナリオを基にこの壮大な作品の主題歌を書き下ろしています。
こだわりの1つでもある曲名にそのまま映画と同じタイトルを使用していること。
そのことからも楽曲とアニメ作品が世界観を共有しているであろうことがうかがえます。
歌詞を徹底解説
「命を賭して守りたいもの」とは?
あいみょんが『あした世界が終わるとしたら』に込めたテーマは「命を賭して守りたいもの」です。
普遍的テーマでありながらも既存の作品では表現されることのなかったあいみょんの壮大な愛の物語。
言葉のひとつひとつに込められた情念もこれまでとは比較にならない重さを持っています。
そこで今回は歌詞の隅々にまで目を向け『あした世界が終わるとしたら』を徹底的に解釈。
みなさんの解釈と付き合わせていただければと思います。
ようやく知ったもの
“僕”の独白の意味すること
今日も生きているのです
僕は僕の守り方を
ようやく知ったのです
出典: あした世界が終わるとしても/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
主人公である“僕”の独白から唐突に始まる『あした世界が終わるとしても』。
アナログ盤のようなくぐもった音響加工がされた最初の2行。
そして突如クリアな音声に切り替わる3行目は“僕”の心情が表現されているのでしょう。
自分を守るということは本当に大切なものを守ることと繋がります。
自らの弱さに逃げ込み真実の気持ちを知ることから逃げていた頃が2行目まで。
そして内なる気持ちと向き合う覚悟を決めることで世界が変わることが3行目で表現されているのです。
定まらない感情=閉塞感
退屈な現状それと愛情
感情、どうしよう
いつまでたっても定まらないよ
僕は僕なのになぁ
出典: あした世界が終わるとしても/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
厳密にはここからがAメロの始まりです。
主人公である“僕”の内向性を感じさせます。
映画の主人公・真(しん)は過去のとある体験に囚われ孤独を内に秘めた少年です。
彼は幼馴染の琴莉(ことり)に対し秘めた想いを抱いています。
しかしその想いを口にすることができないのです。
感情を表に出すことのできない彼は自分が自分でないような感覚に苦しみます。
このような感情は現代の若者なら誰もが抱いたことがあるであろう閉塞感とも通ずる感覚です。