「あなた」にとって何か嬉しい出来事が訪れました。
嬉しい、と感じるのは当人だけ。しかし、それを知った周囲も「何だか私も嬉しい」と一緒に喜ぶこともあります。
もし「あなた」の喜びの反対側で「私」の悲しみが生まれていたとしても、喜ぶのです。
まるでそれがマナーであるかのように、一緒に喜んで「あげる」ことが日常的に行われています。
この曲で「私」は、相手の喜びがどれほどのものなのか想像がつかないのかもしれません。
もしくは、そんなに喜ぶようなことなのか?と疑問に思っている可能性もあります。
いずれにせよ、無責任に喜んだフリはできないよ、と歌っているのでしょう。
「うまく笑えない」ということは、笑ってみる努力はしたのです。それでもうまくいかなかったということですね。
しかもそれを謝罪しています。
「I'm so lost」は「理解されない」という意味です。
一緒に喜ばない自分を周囲は疑問視するかもしれないけれど、それでも笑えません。
自分に対して素直でありたいけれど、誰かにとっては気に触る行動になるかもしれない。
その狭間でどうすることもできず、謝罪の言葉を口にしてしまいます。
果たして主人公は、謝罪が必要なほど悪いことをしているのでしょうか?
「孤独」の意味
I’m only trying to figure out the way
馴染めない群れから離れていた
出典: アルペジオ/作詞:川上洋平 作曲:川上洋平
嬉しくもないのに笑うことで平和が保てるならと、愛想笑いをする方法を探そうとします。
周囲に理解してもらえる方法を探そうとします。
輪に留まろうとすればするほどうまくいかなかったのでしょう。
気づいたときにはもう、愛想笑いが蔓延する輪の仲から外れていました。
周囲に溶け込もうとする「方法」を探すのは難しいのかもしれません。
私たちは数え切れないほどの人と接する中で、相手に合わせる、周囲に合わせる術を学びます。
「なぜ合わせる必要があるのか」「自分の意志はどうなるのか」
こうした疑問を抱いた瞬間、いくら「方法」を見つけたとしても実行に移せないのではないでしょうか。
I know I’m alone
でも孤独は 心地が良くって
出典: アルペジオ/作詞:川上洋平 作曲:川上洋平
輪から抜け出して一人になった今、改めて「独りきり」であることを自覚します。
輪に対して決別の言葉を吐いたわけではありません。溶け込む努力もしました。しかし結果的には一人になったのです。
これはもはや本能。自分の中にある本当の自分が、自主的に輪を後にしたのでしょう。
一人になった自分を「孤独」な状況だと認識しています。
「孤独」という言葉には、二つの意味があると考えられます。
一つは、本当の意味で「自分だけ」の状況です。例えば人里離れた山の中にいる場合です。
もう一つは、孤独ではない人々から「自分だけ疎外」されている状況です。
この曲の主人公が「心地が良い」と言っているのはおそらく前者の孤独でしょう。
周囲に何もなくなり、気持ちが軽くなったのではないでしょうか。
しかし、実はもう一つの孤独も抱えているのです。
全てが「私」
冷たい夜 空はクリア過ぎて
私の心をあぶりだす
痛いよ ひとりで歩くのは
でも嘘つけなくて
出典: アルペジオ/作詞:川上洋平 作曲:川上洋平
冬の冷たい空気は不純物が少なく、景色や夜空がきれいに見えるといいます。
邪魔するものがない夜空は、普段なら見えない遠くの小さな星をも見ることができるのです。
見えないはずのものが見えてしまう。
つまり、押し殺していた感情を浮かび上がらせてしまうほど、冬の空は純粋なのでしょう。
輪から外れた孤独な自分。この場合の孤独は疎外感のある孤独です。
そんな自分の中からあぶり出されたのは寂しさ。そして他者からの冷たい視線による痛みではないでしょうか。
自ら孤独を選んだはずなのに、輪としてうまくやっていける人たちを見ると後悔が襲うのかもしれません。
浮いた存在である主人公を、周囲が何と揶揄しているか分からず不安です。
こうした感情を抱いているのも「本当の自分」。だからこの気持ちを大切に、しっかり受け止めます。
その上で、「嘘がつけない」という心の芯を再確認しました。
美しい憎しみを選ぶ
誰の物でもない「私」があるから
笑われても、嫌われても 守りぬくよ
出典: アルペジオ/作詞:川上洋平 作曲:川上洋平
誰かの感情に引きずられるように喜び、笑い、不安にかられ、涙する。
こうしてあげることで相手は喜び、絆を深めていけると考える方もいるでしょう。
しかし相手に合わせてあげていると思っていても、実は相手の感情の支配下に置かれているのではないでしょうか。
自分が持つ心の全てが「自分のもの」だと胸を張って言えるでしょうか。
この曲の主人公は、自分が持つ心や意志の全てが「私のもの」だと強く感じています。
自分だけにしか与えられていない宝物のような存在であり、絶対に誰にも渡したくありません。
自分だけのものだから、傷を付けようとして伸びてきた剣から宝石を守れるのは自分だけ。
「自分」を突き通す意志と「自分」を守る責任はワンセット、という意味を感じます。
偽って笑うぐらいなら
苦虫潰した表情で睨むよ、睨むよ
嘘偽りない「私」で
出典: アルペジオ/作詞:川上洋平 作曲:川上洋平
相手に合わせてその場しのぎで取り繕う笑顔は、どこかいびつで美しいものではありません。
誰が見ても愛想笑いだと分かるような笑顔より、愛想がない人だと思われる方を選ぶのでしょう。
誰かの喜びに賛同できないからといって、睨みつけるのはやり過ぎでは?と感じますが、ここにも意味がありそうです。
誰かの喜びが自分には無関係なものであれば、睨みつけることはしないはずです。
誰かにとっての喜びが主人公にとっては苦しみや怒りだった、と考えられます。
例えば一つしかないトップの座を争って、誰かが勝ち取ったとき。
主人公は深く傷ついている状態ですが、一般的には一緒に喜ぶことが推奨されてしまうのです。
でも主人公は「私は悲しい」「私は傷ついている」というように自分自身を大切にしてあげたのではないでしょうか。
また、偽りの姿で接したくない相手なのだとも読み取れます。遠慮のない仲を求めているのかもしれませんね。
偽りの笑顔は醜いものですが、偽りのない憎しみはきっと冬の空のように澄んでいて美しいはずです。
『アルペジオ』が表すもの
喜んでいた「あなた」は一転、哀しみに暮れています。
「私」はどのような行動をとったのでしょうか。