臭いものにはフタをして、見たくないものは見えないふりをする。

相手に言ったら修羅場になるような秘密を抱えたままで愛の言葉をささやき合う二人を見て、第三者は思うのです。

それでいいのか?!と。

二人がお互いのことだけを想っている状況で、恋人同士という関係が成立します。

ですから、お互いに言えない秘密を抱えている時点で「他」にも想いが散っていることが容易に想像できてしまうのです。

相思相愛の真似事だけをして、実際は違う。そんな関係で満足なのだろうかと第三者は首を傾げます。

少しでも動いたら崩れそうで 身動き取れないな

出典: センチメンタルガール/作詞:浜口飛雄也 作曲:浜口飛雄也

安全なのは足元の狭い範囲だけ。

実は辺り一面に「嘘」という名の地雷が埋められている状況です。

埋められている、といっても埋めたのは自分自身だといえるでしょう。

第三者は「もしも自分がその立場なら」と相手の気持になって考えようとします。

一歩動いただけで地雷を踏んでしまうかもしれない。自分だったら嫌だなと思ったようです。

「最低だな」と一蹴しないあたり、この曲の第三者の優しさや誠実さを感じますね。

こういう人とお付き合いをしたら良いと思いませんか?

三人の関係が見えない!

少し心配症の友人が二人の恋愛を語るだけの曲。そうとも取れます。

しかし別の見方もできました。

必要なときだけ来て

センチメンタルな夜だけ 私のそばにいてほしい

出典: センチメンタルガール/作詞:浜口飛雄也 作曲:浜口飛雄也

センチメンタルとはどのような状態を指すのでしょうか。

センチメンタル(sentimental)感傷的、情に脆いの意味。かつては『おセンチ』などとも略された。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/センチメンタル

青春ストーリーの中に登場する女の子は、頻繁にセンチメンタルになりますね。

好きな人のことを考えてボーっとすることは必ずしもセンチメンタルではありません。

好きな人に想いが届かなかったときや、届かないと分かっていながら想い続けているとき。

つまり「悲しいとき」に使われる言葉なのです。

さて、そんな状況に陥ったときだけ一緒にいたいという自己中心的な要求は、誰から誰に向けて出されたものなのでしょうか。

「私の」とあるので女性から発された要求ですね。

よりを戻したばかりの彼に「寂しいときだけで結構」なんて言うでしょうか?それこそ修羅場確定です。

そうなると、女性は第三者に向けて要求したということになります。

かなり都合よく使われているようですね。

思い出の惰性だけで 生きたように死んでいる

出典: センチメンタルガール/作詞:浜口飛雄也 作曲:浜口飛雄也

記憶は「思い出」というカテゴリーに仕分けされた瞬間、美化されます。

嬉しかった言葉や態度だけがモグラ叩きのモグラのように浮上し、隠れたと思ったら別の穴から思い出が顔を出す。

実はモグラの数は多くないのに、出入りを繰り返すことで「物凄い数のモグラがいる」と錯覚しませんか?

つまり、嬉しい記憶が膨大にあるかのように自分自身を騙しているのです。

騙しているのですから、自分の中の冷めた部分は冷めっぱなしですね。

一方、「思い出」の持ち主が第三者だとしたらどうでしょうか。

「あなたは私の一番の理解者だから」と言われてセンチメンタルタイムに付き合わされているとしたら?

一番の理解者、つまり過去に恋仲だった可能性があるのではないでしょうか。

感傷に付き合って隣でうなずいてあげながら、心はズタズタに刺され続けるのでしょう。

主人公は誰だ!

どうしても愛せなかった 恋路が向かう先に
起死回生の余地はまだあるんでしょうか?

出典: センチメンタルガール/作詞:浜口飛雄也 作曲:浜口飛雄也

二人の恋は「恋」のまま「愛」に昇華することはないのだと、第三者は分かっているようです。

隠し事ばかりの二人が、これから先何事もなく平穏無事に永久の誓いをするとは考えにくいでしょう。

二人から見た第三者は、単なる友だちではなく信頼できる友だち

だからこそ「寂しいときは話を聞いてね」と頼りますし、そんなわがままが言えてしまうのです。

一方、第三者は二人のことをどう思っているのでしょうか。

いい友だちであることは確かですね。

そして、できることなら二人の関係が恋から愛に変わって欲しい、と願っている様子がこの歌詞に描かれています。

「起死回生」は、放っておけば死ぬような人が生き返るイメージです。

つまり、このままの状態で進めば確実に二人は別れるけれど、そうならない道は残されていないのかな?と歌っています。

はたから見ればダメ過ぎる二人でも、第三者にとっては大切な二人なのでしょう。

第三者と女性が過去に恋仲だったと仮定すれば、起死回生の主人公は自分自身です。

さて、どちらの読み取り方が正しいのでしょうか?!

牽制ばかりで試合が進まない