自分って何者なのだろう?

乃木坂46【僕のこと、知ってる?】歌詞の意味を考察!本当に探しているものは何?記憶喪失の真意に迫るの画像

僕のこと、知ってる?(僕のこと、知ってる?)
ねえ誰か教えて(ねえ誰か教えて)
何者なんだろう?考えたって
自分のことが思い出せない
僕のこと、知ってる?(僕のこと、知ってる?)
手がかりが欲しいんだ(手がかりが欲しいんだ)
ここまで生きた思い出さえ
落としたのかな(捨ててしまったか)
忘れてるのか
ホントの僕は
(今もきっと 今もきっと 今もきっと)
いつかの僕を
(探したいんだ 探したいんだ 探したいんだ)

出典: 僕のこと、知ってる?/作詞:秋元康 作曲:中村泰輔

ここからサビの歌詞パートへと入っていきます。

「僕」は、誰かに対して自分の存在を尋ねているのです。

道行く人々に声をかけているのでしょう。

自分がどんな人間だったのか思い出せず、慌てているようです。

ここまで考察してきて分かることがあります。

それは、この歌詞が単純に「迷子」になったと表面的に受け取るべきものではないということです。

これは彼の内面で起こっている出来事とも受け止めることができます。

彼は自分自身を見失っているのかもしれません。

急激な環境の変化などによって、適応できずにいる。

そんな状態を表しているのではないでしょうか。

それは、7行目からの歌詞で分かります。

環境が変わり、今までの自分と変わっていくこと。

それによって、何かを見落としているような気持ちになることもあります。

彼は12行目で言っているように昔の自分を取り戻そうとしているのでしょう。

乃木坂46の一員であること

これは、乃木坂46メンバーたちが経験してきたことにもいえることです。

「普通の女の子」であった彼女たちが、アイドルの道へと進むこと。

それには、大きな環境の変化が伴います。

周りにあった平穏を捨て、新しい場所へと飛び込む。

その中で自分を見失う事があるというのは想像に難くありません。

そして、いつの間にかアイドルとしての自分しか分からなくなる。

本来の自分の姿がどんなものであったのか、分からなくなってしまいます。

2番

他人に答えを求めること

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そばの誰かに聞いても
答えてもらえない
他人(ひと)のことなど 結局
親身になれないのか

出典: 僕のこと、知ってる?/作詞:秋元康 作曲:中村泰輔

2番のAメロになります。

自分のことを見失った歌詞の中の「僕」。

周りの人に自分のことを尋ねても答えは貰えません

彼はそのことに「他人には優しくできないのか」と、苛立ちを覚えています。

道の先がどこまで
そう続いていようと
通行人には関係ないんだ
自分が向かう場所まで
辿り着けばいいだけ
勝手だ(勝手だ)勝手だ(勝手だ)
傍観者たち

出典: 僕のこと、知ってる?/作詞:秋元康 作曲:中村泰輔

2番のBメロです。

このパートの「僕」からは諦観にも似た感情を感じ取れます。

みんな自分のことで精一杯で、他人に構う暇がない。

そんなことを諦めながらも、人々に無視される自分の状況を嘆いているようです。

困っている「僕」をただ傍観する人々の姿がそこにはあります。

人生はどこへ行くのか

僕のこと、知らない?(僕のこと、知らない?)
会ったことないかな?(会ったことないかな?)
見かけたことくらいありませんか?
何か隠してる そんな気がする
僕のこと、知らない?(僕のこと、知らない?)
足跡を見つけたい(足跡を見つけたい)
誰かに似てるとかでいい
勘違いでも(ただの誤解でも)
思い込みでも…
それでも僕は
迷子のままだ

出典: 僕のこと、知ってる?/作詞:秋元康 作曲:中村泰輔

2番のサビのパートです。

サビの直前の歌詞パートでは、他者に対しての諦めも垣間見せていました。

しかし、ここではまた通行人に対して自分のことを尋ねています

自分の痕跡をほんの少しでも見つけようと躍起になっているのです。

8~9行目では勘違いであっても良いとさえ言っています。

彼は迷子であることの孤独に耐えられないのでしょう。

乃木坂46のメンバーと「僕」の類似性

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この歌詞をここまで考察してきて分かることがあります。

それは、乃木坂46に所属するメンバーが置かれた環境との類似性です。

彼女たちはアイドルであり、他の人々からは憧れの目で見られる存在。

しかし、その裏では孤独な戦いがあります。

アイドルは正解のない職業です。

何をすれば人気が出るのか、人気が全てなのか。

カメラの前の自分と、プライベートの自分。

考えることは沢山あるでしょう。

しかし誰かにその答えを求めても、本人の問題でしかありません。

他の人は、自分が何者であるかを定義してはくれないのです。

歌詞の中の「僕」の周りを通り過ぎていく人たち。

彼らは「僕」に何も助言をしてあげることができないのです。

それは、「僕」と通行人の生きる世界が違うからなのではないでしょうか。

「僕」が辿りついたもの