僕らの始まりから 実は 終わりに向かって続いている日々は
何食わぬ顔でいて 普段はそんなこと感じさせずに 流れてるんだ
出典: 春夏秋冬。/作詞:ハジ→ 作曲:ハジ→
人は生まれた瞬間から死に向かっています。時間は有限です。
でも私たちは毎日そんなことを考えているでしょうか?
五十年後にはこの世にいないかもしれない、なんて毎日想像しながら過ごしている人に出会ったことはありません。
「終わり」を意識せず「先」を思い描いて前に進んでいます。
ぼーっとしてたら 即 置いてかれるほど
時代の流れは 加速するばかりで
気づけばいつも 何かに追いかけられてる気がする
出典: 春夏秋冬。/作詞:ハジ→ 作曲:ハジ→
子どもの頃や学生の頃は「先」を見て目標を立てて、一歩一歩進んでいたかもしれません。
では大人はどうでしょうか。
社会人になったときは「こんな人間になるんだ」と理想を掲げたことでしょう。
しかし実際は毎日の仕事に追われ、朝起きたと思ったら気づけば夜。眠ったと思えば会社にいる。
自らの足で前に進んでいるというよりは、自分は足を止めていてその横を時間が通り過ぎていくという状態です。
このまま時間が過ぎていった先に、自分の理想像が待っているのかどうかも分かりません。
実はとんでもない方向に向かっている可能性だってあります。
気づけば虹が!
ああ どこへ向かっているのかすらも わからず歩いてる
なあ いつまで続くんだ こんな うんざりするようなエヴリデイ
そんな心で 上見て生きること 見失っていた レイニーデイが
ある日 変わって空に 虹がかかった
君に出逢ったんだ そう 君に出逢ったんだ
出典: 春夏秋冬。/作詞:ハジ→ 作曲:ハジ→
そんな毎日は「僕」にとって雨が降っているかのような暗い日々だったのでしょう。
前を向いても上を向いても顔が濡れてしまうから、足元だけを見ながらとにかく進んでいました。
前を見なければ、自分が「前」に進んでいるのか「斜め」に進んでいるのかさえ判断できません。
ゴールだって見えないはずです。
こうした日々で顔を上げるきっかけになったのが「君」との出逢いでした。
いつの間にか雨は止んで、雨上がりを祝福するような美しい虹が見えたのでしょう。
雨上がりに必ず虹が見えるわけではありません。様々な条件が重なり合ったときだけに見えるものです。
「君」との出逢いもまた、様々な偶然が重なり合った結果といえます。
「虹」=「君」という意味を感じます。
「僕」の前向きな変化
また 会いたい人が居るから 僕らは歩き続けてく
この命 ここにある限り 春夏秋冬 未来へ向かうよ
あの桜の木の下でした約束 きっと いつか果たそう
「またね。」
花びら舞うこの場所で あの日のように 変わらぬままで
出典: 春夏秋冬。/作詞:ハジ→ 作曲:ハジ→
時間の流れに身を任せるか、自分から時間を進めていくかの決定権は自分にあります。
雨が降っていれば、虹がかかる雨上がりに向かって進んでいくこと。
「君」が去ってしまったら、次に「君」に会える時を目指して進んでいくこと。
どちらも他人が決めることではありません。
しかし、主人公と「君」が誓った再会は、主人公一人では叶いません。
主人公と「君」の二人が再会の時に向かって歩いていかなければ約束は果たされないのです。
「君」と出逢ったことで非常に前向きな考え方になれた主人公。
「君」も再会を望んでくれている、春になったらまた逢える。そう信じています。
曲の冒頭では「終わり」に向かっていると書かれていましたが、ここでは「未来」。
このことからも、主人公が前向きな思考に変化したのだと分かりますね。
痛みを知って優しくなる
過去の苦い経験を振り返り、認めることで優しさを手に入れた「僕」。
その優しさを向けた先は「君」だけではありません。
人は変わることを身をもって証明
自分のことばっかしか 考えれなかった時代もありました
でも君から沢山 学びました
そして 君みたいになりたいって思いました
出典: 春夏秋冬。/作詞:ハジ→ 作曲:ハジ→
相手を思いやる気持ちが持てず、独りよがりだった自分を顧みています。
そんな彼を変えてくれたのが「君」の存在です。
「君」は人を思いやることができる女性なのでしょう。しかしそれだけではないように感じます。
人を思いやるからこそ深く悩んだり、落ち込んだりする素直な姿も目にしたのではないでしょうか。
誰かのことを思い、真剣に考えることができる「君」。
「僕」はきっと自分に足りないものを沢山拾ったのだと思います。
前に進むための理想や目標を見失いかけていた「僕」は、新しい目標を見つけたようです。
人は変われない なんて誰かは言うけど 僕はそうは思わない
だって 君と会ってこんな風に 変われた自分が居るからこそ言えるさ
出典: 春夏秋冬。/作詞:ハジ→ 作曲:ハジ→