オリジナル版「黄昏のビギン」
元祖は水原弘です
ちあきなおみに始まって、さだまさし、中森明菜、鈴木雅之、高橋真梨子、井上陽水…
様々な歌手にカバーされてきた「黄昏のビギン」。元はと言えば水原弘の楽曲です。
1959年10月の発売ですから、なんと今から60年も前の曲!
なぜか埋もれた「黄昏のビギン」
デビュー曲「黒い花びら」が大ヒットした水原弘は、記念すべき第1回レコード大賞(1959年)を同曲で受賞。紅白歌合戦の出場も果たし、一躍スターダムにのし上がります。
「黄昏のビギン」は2枚目のシングル「黒い落葉」のB面で、人気絶頂のさなかに発売されました。
A面の「黒い落葉」は当然ヒットしたものの、「黄昏のビギン」は日の目を浴びることなく、通好みの1曲としてどうにか命を長らえます。
破天荒に散った水原弘
一方、甘い低音とウィンクで若い女性のハートを虜にした水原は、夜の街での豪遊ぶりでもその名を馳せ、多量の飲酒が元で身を持ち崩し、42歳の若さでこの世を去ります。
昭和に生き、昭和に散った、まさに昭和の大スターでした。
(ちなみに「黒い花びら」はぼくの祖父のカラオケの十八番!祖父は今年で92歳。おかげさまで元気です。)
ちあきなおみ版「黄昏のビギン」
カバーの元祖はちあきなおみ
水原弘全盛期の作品であるにもかかわらず、ひっそりと埋もれていた「黄昏のビギン」。
この歌を発掘したのは、やはり伝説の歌手として語り継がれるちあきなおみでした。
こちらも伝説となったちあきなおみ
1969年に歌手デビューしたちあきなおみ。
デビュー時のキャッチフレーズ「魅惑のハスキーボイン」からもわかる通り、当初は色物扱いされていました。
しかし1972年、代表曲「喝采」で第14回レコード大賞を受賞したあたりから、正統派歌手としての地位を不動のものにします。
歌謡曲・演歌はもちろん、ポップス・ニューミュージックから、ジャズ、シャンソン、果てはポルトガル民謡のファドに至るまで、歌唱のジャンルは幅広く、その実力は折り紙つき。
ぼくが子供のころに観ていた「タンスにゴン」のCMもなかなか強烈でしたねー。女優としても素晴らしかった。
ですが1992年(「黄昏のビギン」リリースの翌年)、ご主人を亡くした彼女は一切の芸能活動を休止。以来一度も表舞台に姿を見せていません。
スタンダードソングへの道
CMソングで火がついた
水原弘が夭折し、ちあきなおみは引退同然。歌う主を失ったはずの「黄昏のビギン」は、まさかの大出世を遂げます。
1991年10月には京成電鉄スカイライナーのCMで、翌92年10月公開の映画「死んでもいい」で、この曲が使用されました。
また1993年には同名の小説が掲載され、この年12月には水原弘版が再発売されています。
そして1999年、ネスレ日本「ネスカフェ・プレジデント」のCMソングとして脚光を浴び、同曲は2003年まで4年間に渡って親しまれることとなります。
ここはひそかに目をつけていたCMディレクターや映像作家の慧眼を褒めるべきところでしょうか。