産業ロックとは音楽産業が拡大する中で出てきた商業主義的ロックという意味の言葉です。
当時は批評家などに芸術至上主義的な考えから、金銭的成功を堕落とする人たちがいました。
またロックは反体制であるべきという精神論的な人も少なからずいたのは確かです。
80年代あたりから言われ始めた言葉でCMのタイアップ曲などその筆頭というものでした。
では忌野清志郎のRCサクセションや坂本龍一のYMOなどはどうだったのでしょうか。
実を言えばRCサクセションもYMOもこの時期、売れることを目的の一つとして活動していました。
RCサクセションはデビュー当時はフォークグループ。
1972年発表の「僕の好きな先生」のヒットはあったものの、基本は売れませんでした。
そのRCサクセションがロックバンドに転向した動機は「売れるため」。
当時付き合っていた女性がいた彼はその彼女との結婚を望んでいました。
しかし彼女の両親に生活力のなさから猛反対されしまい、その説得のために売れようと決意します。
そしてメンバーを入れ替え、のれる音楽を研究し、ロックバンドとしてのRCサクセションが誕生します。
ちなみに忌野清志郎のあの派手なステージ衣装やメイクもその頃に取り入れています。
そしてライブバンドとして成功をおさめて彼女と結婚することができました。
一方、YMOは細野晴臣が世界に売れる和製ロックミュージックというコンセプトで作ったバンドです。
しかし両者とも産業ロックと呼ばれることはありませんでした。
それだけ曲やスタイルにオリジナリティがあり、時代の先端を行っていたのです。
忌野清志郎と坂本龍一
その後のYMOと坂本龍一
多くのファンが驚いた夢のユニットですが、活動はこの曲のシングル収録曲2曲だけです。
YMOは翌年の1983年に突然、アイドル路線を打ち出し、「君に胸キュン」を発表。
この曲も実は化粧品会社とのCMソングです。
しかも「い・け・な・いルージュマジック」のクライアントのライバル会社のCM。
チャート1位を目指しましたが結果は2位でした。
YMOはこの年の暮れに解散。坂本龍一はソロとして世界的な活動をしていくこととなります。
その後のRCサクセションと忌野清志郎
RCサクセションはその後もライブを中心に精力的に活動を続けます。
しかしバンドの方向性に関する問題などから1991年に活動休止。
活動休止着前の1990年忌野清志郎は細野晴臣、坂本冬美と「HIS」としてアルバムを発表しています。
RCサクセション休止後も精力的に活動していましたが、2009年に癌のためなくなっています。
まとめ
RCサクセション
忌野清志郎が率いたRCサクセションの代表作といえばコレ。
センチメンタルなのかセクシーなのか、あなたの品位が試されます。
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