夜を越えあたしの夢が開くとは、やはり娼婦がどこかでイメージされますね。
自分を売り渡していた夜の時代を終えて、本当の恋をみつけたい。
でも本当の恋なんてないと思いながら、恋というものがすべて一夜の戯れと考えてしまう。
そういう夜に生きる女性たちの歌なのだと思います。
切なき胸の内は一向隠して
今宵の静寂に吐息は溶ける
甘美な唇に伝う指先 密かに濡れてゆく
出典: https://twitter.com/mina1227endo/status/646146291987156992
ここでは性というものが隠されているのではなく、顕(あらわ)になっています。
性というものは本来、隠すべき秘め事なのですが、その秘め事をオープンにするということは、誰かを誘惑することでもあります。
そういう誘惑をしていいのは、本来、夜の娼婦。
でも歌謡には、そういう夜の世界と繋がった歌がたくさんあります。
この「恋詩」もそういう系譜の歌。 安田レイが歌うことによって、よりいっそう妖しい魅力が歌にやどっているのかもしれませんね。
日々を超えあたしの夢今散らし
胸の中の扉は閉ざしましょう
一夜の戯れにも煌煌と
燃え盛りし愛を冷ましましょう
出典: https://twitter.com/mina1227endo/status/646146291987156992
自分自身の本当の愛や本当の夢は、生きるということの前に儚く消えていってしまう。
そして自分の胸の扉を閉ざさなければなりません。
本当の愛ではなく、一夜の戯れを愛だと偽りながら、生きていく。 それはそのまま現代的な主体を失った人々の影でもあるのかもしれません。
恍惚と喘ぐ声は空に消え 日溜まりの花と変わるのです また芽吹くのです そう生きるのです
出典: https://twitter.com/ikimono_Lyric/status/858109395615367168
やがて時は満ち人は変わるもの、強く儚き愛と生きるもの
つれなき恋路をただ阻むのは「あたし」という名の影無双
出典: https://twitter.com/ikimonobot/status/925871634543603713
ただこの歌はそうした儚い夢だけを描いているわけではありません。
恍惚や喘ぐ声は空に消えます。 太陽が輝きだしたのです。
こうした世界は太陽の前では消えてしまいます。
そして真実の愛をみつけ、昼の世界で生きることが歌われています。
もう一度、今度は夜ではなく、昼に咲く。 あやまちを逃れて、自分の人生を生きることが歌われていると思います。
"やがて時は満ち人は変わるもの"。 この部分は本当に真理ですね。
昼と夜という二元論
地球上では昼と夜は必ず存在します。
この昼と夜は、人類の精神史の中で洋の東西を問わず、善と悪、光と影のように、世界を二つに分けて捉える考え方の原型でもあります。
東洋にも陰陽思想があり、西洋にも善悪の考えがあると思います。
夜の世界は妖しい世界として存在し、昼の世界はまっとうな正しい世界だと考えることは、この世界を構成する思想のひとつです。
そして歌謡とは、夜の世界のものでもあります。
昭和的な文化が消えても、インターネットの初期には、このインターネットを夜の世界のものととらえた人々も多かったと思います。
でも音楽もインターネットも、人々の心を映す鏡。
そこにあらわれているのは、その時代、その時代の人間性なのかもしれませんね。
「恋詩」は夜の世界を描いているようで、実はそういう人間が持つ負の感情に光をあてた曲だと思います。
シンガー・安田レイの魅力
安田レイは13歳の時から元気ロケッツの架空のボーカル"Lumi"として歌を歌い続けてきました。
自分自身ではなく、架空のボーカリストを演じ続けてきた彼女は、俳優のように歌の役柄を演じて歌う、シンガーの魅力があると思います。
何色でもないから何者にでもなれる。
そういう演技的な部分で歌うこともヴォーカリストの魅力かもしれません。
自分の経験から表現を生み出すアーティストと、役柄にあわせて歌うヴォーカリスト。
同じ歌を歌うシンガーでも、きっと様々な歌い手がいるのでしょう。
彼女の魅力は自分の声をどんなふうにでも使いこなせるその高い歌唱力にあるのかもしれませんね。
最後に
愛というものや夢というものの影の部分に迫った「恋詩」。
歌詞に描かれた世界は夜の世界です。 でも太陽の元でやりなおせることを歌ったこの歌の世界観は、もし誤ちにおちいった人間がやり直せることを示唆した救いの歌でもあると思います。
もし自分の人生に罪があったとしても、より正しい生き方へとやりなおせる。 そういう励ましこそ耳をかたむけたいですね。
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