洋楽コンプレックスは遠くなりにけり
凛として時雨、2008年メジャーデビュー。3ピースのロックバンド
非常に技巧的な演奏をするオルタナティブ系のバンドと聞いていましたが、一聴した印象は性急なポスト・パンクのようです。
凛として時雨(以下、時雨)の「JPOP Xfile」を初めて聴いた時の感想です。
MC5か、at the drive-inみたい?いや違うな。昔ドイツにAbwartzというポスト・パンクバンドがいましたが、近いかも。
同じドイツで、D.A.Fの2ndとか。無理やり例えると、そんな感じです。
(知ってる人はわかってくれるかも、という願いをこめて書いてます。
今どきAbwartzよりも時雨を知ってる人の数の方がはるかに多いだろって気もしますが)
しかし「どこが?」と言われれば、確かに似ていない。これだけうまく例えられないバンドは久しぶりです。
これって「こんな音楽、他では聴いた事がない」からなんでしょうか。
はっきり言えるのは(頭悪い例えで申し訳ないが)、このバンド滅茶苦茶カッコ良いって事です。
動画を見てみてね。
絶対の自信があれば、自分を偽る必要がない
この人たち(時雨のメンバー3人とも)、年齢的にも普通にJPOPを聴いて育ってきた世代だと思うんですが…。
それを自分たちのルーツとして認め、影響を受けているみたいな発言を平気でするんですね。
(この音でJPOPの影響を受けていると言われても「どのへんが?」ってなりますけど。)
時代も変わったもんだ、なのか、時雨というバンドが特殊なのか。
潔いな、と思います。というか大胆不敵。
「こんな事言ったらナメられる」とか「自分たちの音楽がスポイルされる」とか、心配する必要がないから言えるのでしょうね。
ここまで音が強固だと。
私の率直な意見として、それだけの音を出しているバンドだと思います。
【悲報】もう洋楽を聴く必要はなくなりました
このバンドが日本にいるから
…いやいや。でもね今から20~30年前って、本当に刺激的だとか「今これを聴いとかなきゃ!」っていうバンド、日本にほんといなくてね。
(仕方がないから「裸のラリーズ」とかを遡って聴くしかなくて。)
技巧がどうの、センスがどうのって話じゃなくて。
たとえば1980年代のイギリスは、ロックでは世界の最先端でした、なぜなら労働者階級の若者は本当に貧しくて、失業保険で食い繋ぐしかなかったからです。
「今、自分が貧しい」だけじゃなく、社会全体として先が見えない、希望がないっていう状況からは。
「今これを演らなきゃ、本当に生きてる意味がない」
っていう音楽が生まれてきていたわけです。
昔Venus Peterのギターの石田さんが
「イギリス人には他に何もないから、音楽やる時は本当に真剣にやってると思う。日本は…テレビ面白いんだもん」
という主旨の発言をされていたのを思い出します。(若者がテレビ見て笑っていられる社会なんだもん、という意味ですね。)
で?そんな話時雨と何の関係があんの?
「テレビ見て笑ってる人にいい音楽は作れないと言いたいんですか?」んな訳ないですよ。
昔甲本ヒロトさんがThe Blue Heartsの末期に、本当に絶望する出来事が重なって。
部屋で首吊ろうとしていたら、たまたまつけていたテレビの「ダウンタウンのごっつええ感じ」が目に入り、思わず笑ってしまって。
「俺まだ笑えるんだ」と気づき、思い止まったという有名な話がありますよね。
テレビ見て笑ったことで、現実を見据える視点を持ち、現状打破できたという例え話です。
視点(view)があって、態度(attitude)がある
演っている音楽には、本人の目に写っているものが反映されます。
そこに嘘がなければ、必ず人の共感を集める筈です。
(言わなくていい事ですが、どんなクズ野郎がやる音楽でもそうだと思います。…時雨のメンバーはクズじゃありませんよ。)
私は凛として時雨の曲を聴いて、何を歌っているのかさっぱり理解できない事があります。が、それでいいと思います。
意味を表面的に理解されようと思ったらああいう歌詞や、歌い方や、ミックスにはならないと思います。
「伝わらないものを、無理に伝えることはない」とでもいうような態度(attitude)なのに、ビシバシ伝わってくるものがある(そこが誰にも真似できない)。
豊かだろうが貧しかろうが、影響を受けたのが洋楽だろうがJPOPだろうが、関係ない。時代も超越して音楽が鳴っている。
そういうところが、時雨というバンドが信頼を集めている所以なのでしょうか。