Mrs. GREEN APPLE【Attitude】歌詞の意味を考察!これは遺言?世間に示す態度とはの画像

どうにか眠れる様に 眠れる様に目を瞑る
ただ白馬に跨る僕
似合わぬ僕。
でも満悦。

「腐ってなんかは居ない」
この世は腐ってなんかは居ない。
そんなことだけでも
何処かで報われた気がして過ごせています

出典: Attitude/作詞:大森元貴 作曲:大森元貴

夢の中でヒーローを気取って満足を覚える僕の姿を描いています。

ここでも大森元貴はまず自分が満足することを優先するのです。

アーティストというものはナルシストであると素直に認めているよう。

まず自分に自信がないと歌など歌えないのかもしれません。

似合わない姿をしていても自己陶酔に陥っている彼の姿が浮き彫りになります。

白馬の騎士が世界を糺すところを夢に見るのです。

その騎士はもちろん自分自身でしょう。

大森元貴は自分が世界の腐敗を一掃する瞬間を夢に見ます。

この世界には腐敗している箇所などなくなってしまった。

このためだけに自分の歌詞を書いた意義があったと救われた気分になると歌うのです。

大森元貴は人間に関わる様々な問題を歌にしてきました。

彼は問題を提起する歌詞を書くごとに心を痛めていたのでしょう。

この世界から腐敗は一掃されたのであれば問題意識のある歌詞を書き続けた意義もあったのです。

しかしもちろんこのラインは希望的な観測に過ぎません。

世界は相変わらず腐敗の温床であることは日々のニュースで嫌となく知らされます。

まだまだ歌う意義が存在するのでしょう。

歌詞は私の生命

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益々生きにくい日々慣れれず削りながら
真面目にも今日もね
明日を信じて歯を食いしばるのが
A.t.Ti.Tude
あなたはアーティスト中毒
産み落とした子達は
私のそう、心臓

出典: Attitude/作詞:大森元貴 作曲:大森元貴

現実は日々酷くなる一方の毎日です。

日本社会は世界の経済成長からひとり立ち遅れています。

政治的な状況も混迷を極めるのです。

社会に有効な処方箋がありません。

アーティストの使命で歌詞を紡いでいるのに生きにくくなる毎日に大森元貴は歯軋りします。

それでも愚直に未来が良くなることを願って歌詞を書くしかないのです。

彼の真面目さは世界の不幸を自分から背負い込むような苦痛を伴わせます。

こうしたナルシシズムと利他的な姿勢を両方持っているのが良質なアーティストの証明でしょう。

そしてこれこそがMrs. GREEN APPLEの基本姿勢だと彼は歌うのです。

言葉遊びでリスナーのことをアーティスト中毒と歌います。

もちろん「Attitude」との語呂合わせです。

大森元貴は生み落とした作品に並々ならない愛情を寄せます

作品は自分の心臓だと歌うのです。

心そのものであることを強調します。

どのアーティストもオリジナリティに自信がある人は作品について自分と同等のものであると感じるよう。

大森元貴は特にオリジナリティあふれる歌詞を書く人です。

自分の歌詞はリスナーのご機嫌取りではないといいます。

挑発的に問題をどうだろうと真剣に突きつけながら歌詞を紡ぐと絶えずいい続けているのです。

彼にとって歌詞というものはまさにハートの問題であるのでしょう。

イズムの超克

夢から醒めた後に

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夢から覚めて魔法はね
いつか解けるの
しがみ付く事なく
誰かとね 愛し愛されて死にたいの
エゴイズム、軽快なリズム
エゴイズム、ご機嫌取らずに済む
パシフィズム、リベラリズム
ペシミズム、ヒューマニズム
太陽が不意に亡くなって
独りぼっちになったなら貴方を追う

出典: Attitude/作詞:大森元貴 作曲:大森元貴

白馬の騎士の夢など起きてすぐに醒めてゆきます。

夢が色褪せて現実と向き合うときがくるのです。

そのときこそ私たちに現実の諸問題と対峙するときがきます。

そのときに一番心震わされる問題は愛についてのこと。

きちんと相手と愛を育み合いながら生きてゆく未来を望みます。

何か大きな社会問題のために具体的な提言をすることはアーティストの仕事ではないでしょう。

それよりも愛の悦びの中で過酷な現実を超克する必要を歌うことこそアーティストの使命です。

愛し愛されてという箇所は小沢健二の「愛し愛されて生きるのさ」へのオマージュになっています。

小沢健二は生きることの愉悦を歌にしました。

一方、大森元貴は死にゆく道筋の中で愛し愛されることを望んでいるのです。

生きるも死ぬも結果としてはどちらも同じなのですが照準の当て方の違いは大事なことでしょう。

1994年の「愛し愛されて生きるのさ」の発表からもう四半世紀が経ちました。

社会のベクトルが腐敗と死に向かっていることの反映かもしれません。

1994年はまだ20世紀でした。

日本社会がこれほど没落・衰退するとは誰も思っていません。

キラキラの小沢健二の歌詞に比べて大森元貴は諧謔的ですがシビアな現実を反映しているでしょう。

愛の欲動はイズムを超える

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エゴイズムとは利己主義のことになります。

その名のとおりに自己の利益を最大の価値と考える思想です。

思想を超えて資本主義社会の欲望の動きなど社会を動かす原動力になってしまいました。

誰もが自分の利益を最優先しようとする社会。

欲望・欲動を第一義として生きているので副次的に他者を顧みなくなります。

現代日本社会を貫いているのもエゴイズムでしょう。

為政者でさえも国民の利益よりも自分やその友人の利益を優先するようになりました。

こうした動きは社会に深刻なモラルハザードを呼び起こします。

Mrs. GREEN APPLE、大森元貴はこうした風潮に抗う姿勢を隠そうとしません。

ただしときには自分の中に隠していたエゴイズムを発見することもあるでしょう。

そもそもアーティストは自分たちの作品こそが最高だと思わないとやってゆけません。

そうした感情の裏にエゴイズムはひっそりと寄り添います。

パシフィズムは平和主義。

リベラリズムは自由主義。

ペシミズムは厭世主義。

ヒューマニズムは人間主義。

それぞれのイズムはお互いに交錯しながら世界の中にあります。

あるときはパシフィズムでリベラリスト。

あるときはペシミストなのにヒューマニズムを謳う。

相反して排斥し合うイズムたちではありません。

希望がなくなって孤独になったときに誰かを求める気持ちについても歌われます。

この心の在り様はイズムに収まるものではないでしょう。

ヒューマニズム的でありパシフィズムがないと成り立たない感情ではあります。

しかし孤独を埋めるために必死に愛を探すことに何かイズムを意識する瞬間はないでしょう。

あらゆるイズムを超越した気持ちである愛の欲動を大森元貴は本能的に信じ切るのです。

「Attitude」の表明と未来

隷属状態にいる多数派

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「弱い人ばっか居ます」
この世は弱い人ばっか居ます。
平気なふりをして隠れてるわ
きっと。

「腐ってなんかは居ない」
この世は腐ってなんかは居ない。
どうかそんな歌を歌わせてよ
ずっと

書き綴られた歌は
私のそう、遺言

出典: Attitude/作詞:大森元貴 作曲:大森元貴

いよいよクライマックスになりました。

以前の歌詞を踏襲していますが細部が違います。

この社会に弱い人々が潜んでいることに再び言及するのです。

大森元貴はこうした人に寄り添う気持ちを示しています。

リスナーの心のうちを想像しながら歌詞を紡いできたのです。

彼が作詞した歌詞は親切ではないときがあります。

解釈が難しいものも多いでしょう。

ストレートに共感を得るというよりは裏まで読み解かないと真意は分かりません

弱い人に頑張ってソングを贈るような無神経さと彼は無縁です。

頑張ってソングに励まして欲しい方は他のアーティストを選ぶかもしれません。

しかし大森元貴の深い洞察に支えられた歌詞じゃないと満足できないリスナーはたくさんいます。

彼が弱い人と呼ぶとき、それは失恋などで心が参っている人などを指す訳ではないです。

弱い人とは現実社会を客観的に見て隷属的な立場にある人のことを指します。

こうした人々のうち隷属状態に気付いていない当事者も多すぎです。

平気なふりという当てこすりはこうした人を指すのでしょう。

しかし隷属状態とは客観的に観測されるものです。

自分は隷属などしていない強い人間と思い上がった人も実は社会的弱者で隷属している。

そんな現実はいっぱいあるのです。