70年代には欠かせないミュージシャン
2012年に59歳という若さでこの世を去った桑名正博さん。
70年代には欠かせないミュージシャンの一人です。
現在でも活躍しているミュージシャンを数多く輩出した年代です。
デビュー曲は大阪弁の嵐!
1971年にファニー・カンパニー結成。翌1972年に「スウィートホーム大阪」でデビュー。 1973年『ファニー・カンパニー』、1974年『ファニー・ファーム』と2枚のアルバムを残し、同年解散。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/桑名正博
ロックバンド「ファニー・カンパニー」。
歌詞は「あんさん」という言葉からはじまり、自分のことは「わい」といっています。
ちなみに「あんさん」は「あなた」のことです。
その他「好きだんねん(好きなんです)」「広おまんなァ(広いですね)」など。
もはやなにわの商人(あきんど)口調のような…。
令和となった今ではほとんど耳にすることはなくなった方言で、とても時代を感じる1曲です。
動画を載せていますのでご覧ください。
しゃがれた声のイメージがあるかもしれませんが、当時はちょっとハスキーなハイトーンヴォイスでした。
そのハスキーヴォイスが桑名正博さんの魅力なのです。
この声とロック音楽、歌詞の内容がなんともミスマッチのように感じます。
しかしそれを感じさせないのが、桑名正博さんの世界観なのでしょう。
ソロ活動開始
ファニー・カンパニーはデビューから約2年で解散してしまいます。
そして、解散の翌年にソロとして活動を開始します。
ソロ活動開始から約2年後に1stシングル「哀愁トゥナイト」をリリースし再デビューを果たします。
タイトルからして昭和の雰囲気を醸し出しています。
この曲を作詞したのは松本隆さん、作曲は筒美京平さんです。
桑名正博さんのソロシングルのほとんどが松本・筒美コンビの作品となっています。
いくつもの顔を持つ桑名正博さん
ミュージシャンとして活躍していた桑名正博さんですが、俳優としても多くの作品に出演しています。
テレビドラマでは大竹しのぶさんと共演したこともあるとか。
また日産やサントリーなど大手企業のCMにも起用されています。
その他、ラジオパーソナリティ、書籍の出版など、様々な顔を持っています。
家業を継いで実業家に
ミュージシャンとして東京で活躍する最中、父の他界をきっかけに家業を継ぐことになります。
そのため実家のある大阪に戻った桑名正博さん。
2000年からは社長業を担いながらも、音楽活動も行っていたそうです。
シングルは1981年以降リリースされていませんが、アルバムは2000年以降に4枚リリースしています。
しかしバブル崩壊の影響を受け、江戸時代から続いた家業は倒産してしまいます。
結婚、離婚、息子たち
桑名正博さんが最初に結婚したのは1980年のこと。
アン・ルイスさんとの結婚は、人気ミュージシャン同士というこどで当時かなり話題になりました。
二人の間には長男「美勇士(みゅうじ)」が誕生します。
当時としては珍しい、現代でいうキラキラネームですね。
しかしそんな二人も約4年の結婚生活を終えることになります。
その後、桑名正博は再婚し、桑名正博にとっての次男「錬」が誕生します。