「キミの詩」はミュージカル劇中曲
ミュージカル楽曲における歌詞はセリフ
刀ミュはみなさんご存知のようにミュージカルです。
ミュージカルなので、劇中に歌われる楽曲にはセリフ同等の大事なメッセージが込められています。
「キミの詩」を歌うシーン
「キミの詩」は、1幕のED曲として歌われた楽曲です。
この曲が歌われた「阿津賀志山異聞」公演は、源義経と武蔵坊弁慶の歴史を変えようとする歴史修正主義者と刀剣男士との戦いを描くストーリー。
歴史修正主義者たちとの戦いが終わり、無事に主から言い渡された任務を遂行した6人の刀剣男士たち。
彼らが満開の桜が咲き誇る映像をバックにしっとりと歌い上げるのがこの曲です。
それぞれの胸には、この任務をこなした日々と、そのなかで得たものと失ったもの、捨てたものが渦巻いていたのでしょう。
さて、本編でのシーンを思い出したところで、ここからは歌詞をフルで解説していきたいと思います!
今剣から始まるAメロ
刀剣男士が人間の"心"を持つこと
教えて欲しい
ひとり見上げる空が 滲んだ理由(わけ)を
出典: キミの詩/作詞:MARKIE(Wee's Inc.)・茅野イサム 作曲:MARKIE(Wee's Inc.)
歌い出しは今剣(大平峻也)です。
今回の物語は、テーマのひとつに今剣の成長がありました。
刀剣男士として顕現したことで、彼らはこれまでのただの刀という"物"から、"人の体"を得た存在になったわけです。
刀として人間の近くで長い年月を過ごしてきて、人間がどういうものなのかは彼らもよく知っていたと思います。
でも、刀剣男士になってはじめて、自分にもどうやら人間と同じ"心"らしきものがあることに気づくのです。
今剣は、空を見上げるとなんとなく涙がこぼれてくるけど、その理由がよくわからないと歌っています。
きっと涙というものが "心"から生まれたものだと理解できても、その"感情の名前"がよくわからないのでしょう。
人の形をしていても、彼らはあくまで付喪神。
人間のような感情にはまだ不慣れであることが伝わってきます。
感情がもたらす戸惑い
出会わなければ
こんな気持ち 分からなかったのに
出典: キミの詩/作詞:MARKIE(Wee's Inc.)・茅野イサム 作曲:MARKIE(Wee's Inc.)
そして続くのが岩融(佐伯大地)です。
ここで彼が"出会わなければ…"と歌う相手は、何人か思い浮かびます。
岩融自身が、かつての主である武蔵坊弁慶や、自分を顕現させた本丸の主に出会わなければよかったのか。
それとも大切な相棒である今剣が源義経に出会わなければ、あんなにも悲しい思いをせずに済んだという意味なのか。
はっきりとは明記されていません。
筆者はかつての主・武蔵坊弁慶を思いながら歌っているのではないかと思っています。
刀剣男士になったことで知ってしまった"感情"は、戸惑いの対象でもあったはずです。
これまでただ戦うために存在した刀たち。
ある日感情が芽生えてきたら、心を持て余してしまうのも当然だと思います。
そんな、どうしていいか分からない気持ちがつまっているのが、このフレーズではないでしょうか。
ここでは、気持ちを知ってしまったことを良いとも悪いとも言っていません。
それも含めて、岩融が感情とどう向き合うかまだ決めかねているように感じられるのです。
かつての主への思い
いつも一緒に居たはずだった
あの温もりが忘れられない
出典: キミの詩/作詞:MARKIE(Wee's Inc.)・茅野イサム 作曲:MARKIE(Wee's Inc.)
ここは加州清光(佐藤流司)が歌っています。
加州清光は、この公演で出陣する6振のうち唯一の初期刀です。
そう考えると、今回の出陣部隊のなかでは一番最初に刀剣男士になっていた可能性が考えられます。
彼も今剣が元主との再会に心を乱され苦悩する様子を側で見ていました。
そのなかで、かつての主への強い思いを持つ者として彼もなにか思うものがあったのではないでしょうか。
加州清光にとって、いつも一緒にいた存在というのはかつての主・沖田総司だと考えられます。
戦の最前線で主と共に戦った記憶や大切に手入れをしてもらった記憶などを、歌いながら反芻しているのかもしれません。
歌詞中の過去形が、もう一緒に戦うことは叶わないかつての主に思いを馳せているようにも受け取れます。
一抹の寂しさを感じさせる佐藤流司の歌い方と表情に、思わず目頭が熱くなってしまいますね。