「クレイジー・フォー・ユー」と時代
しっとりとしたラブバラードに挑戦
1985年3月2日にリリースされたマドンナのシングル「クレイジー・フォー・ユー」。
これまでの挑発的な女性像から一転して、大人の愛に夢中な女性を描いた作品です。
陽気なポップ・ソングが続いたマドンナのシングルですが、この曲は落ち着いたラブバラードになりました。
カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」の作詞家・ジョン・ベティスが書き下ろし。
「ライク・ア・ヴァージン」「マテリアル・ガール」で見られた突飛な新鮮さは後退します。
しっとりと愛を歌い上げる歌詞になっているのです。
少々うるさい印象を持たれていたマドンナのパブリック・イメージを覆しました。
元は映画「ビジョン・クエスト/青春の賭け」のサウンド・トラックとして採用された楽曲です。
マドンナに対して眉をしかめて見ていた人々も唸らせたしっとりとした歌唱が見事でしょう。
思春期を終えて大人の恋をするようになった女性を描きます。
この曲「クレイジー・フォー・ユー」の歌詞を和訳して解説いたしましょう。
それでは実際の歌詞をご覧ください。
プロローグは静かに
3人称複数形での叙述
Swaying room as the music starts
Strangers making the most of the dark
Two by two their bodies become one
出典: クレイジー・フォー・ユー/作詞: John Bettis, Jon Lind 作曲: John Bettis, Jon Lind
マドンナが大人のラブバラードをシングル・カットすること自体がスキャンダルでした。
歌い出しの歌詞です。
和訳を添えましょう。
「音楽が流れ始めると部屋が揺れ動く
暗闇を最大限に活かす見知らぬ人たち
ふたり連れの身体がひとつに重なり合う」
物語の始まりです。
ムード満点な音楽とともに愛を交わす人々の姿が描かれています。
導入部であるためか3人称複数で描かれるのです。
他の箇所とはかなり印象が違います。
アメリカ合衆国はパーティー文化が日常にまで根付いている土地です。
パーティーの終わり頃になるとムーディーな音楽を流してそれぞれの愛を育むのでしょう。
歌の舞台はこのような設定ですということを教えてくれる箇所です。
本当のドラマはこれから始まります。
先を見ていきましょう。
暗がりの中で見つけた人
情熱的な私、クールなあなた
I see you through the smoky air
Can't you feel the weight of my stare
You're so close but still a world away
What I'm dying to say is that
出典: クレイジー・フォー・ユー/作詞: John Bettis, Jon Lind 作曲: John Bettis, Jon Lind
いよいよ主人公が登場します。
「煙った空気を通して私はあなたを見つける
私が見つめているその重さをあなたは感じられないの?
あなたはとても近くにいるのに世界はまだ遠くにあるみたい
私にはどうしてもいいたいことがあるの、それはね」
音楽が流れている部屋。
今でこそ煙草はアメリカ合衆国では嫌われますが、ときは1985年ですから嫌煙の空気はありません。
煙草の紫煙で煙る部屋の中で私はあなたと出会います。
私はあなたに一目惚れのような状況です。
ずっと部屋の片隅で見つめていましたが、ゆっくりとあなたに近付いてゆく場面でしょう。
ところがまだあなたは私の魅力に気付いていません。
私の熱視線もどこ吹く風、クールでいるあなたの姿。
こうしたあなたのクールな表情に私は虜になってしまうのです。
「女性と猫は追うと逃げる」なんて言葉があります。
私があなたに追われる立場であるならば、これほどにあなたの魅力を感じ得たでしょうか。
「マテリアル・ガール」ではめちゃくちゃモテる女の子の気持ちを歌ったマドンナ。
続くシングルがこの曲ですが、男女の立場が逆転して男性を追いかける女性の姿を歌います。
マドンナ旋風が吹き荒れた中でのラブバラードへの挑戦。
制作陣はこの曲をマドンナが歌うことについて上手くイメージできなかったという逸話が遺っています。
しかしマドンナのシンガーとしての実力は制作陣の想像を遥かに凌駕していました。
恋する女性の切ない思いをマドンナは自分のものにしてしっとりと歌い切ります。
私があなたにどうしてもいいたい言葉がこの後のサビに繋がるのです。
この愛に夢中
大人になったマドンナ
I'm crazy for you
Touch me once and you'll know it's true
I never wanted anyone like this
It's all brand new
You'll feel it in my kiss
I'm crazy for you
Crazy for you
出典: クレイジー・フォー・ユー/作詞: John Bettis, Jon Lind 作曲: John Bettis, Jon Lind
有名なサビです。
赤裸々な愛の告白に耳を傾けましょう。
「私はあなたに夢中だってこと
私に一度でも触れてみて そうすればそれが本当だって分かるはずよ
私はこんなにも誰かを欲したことなど一度もなかった
すべてが新鮮だわ、あなたは私のキスでそのことを感じるの
私はあなたに夢中
あなたの虜よ」
私の身体に触れてみればあなたに夢中であることが分かるはずよ。
ドキッとするほどに正直なとてもストレートな愛の告白です。
思春期の淡い恋などではなく、地に足をつけた大人の恋愛模様。
恋する想いを隠すことなく、私の方からあなたへキスを贈ります。
日本ではまだまだこうした愛情表現は稀で、女性の方からモーションを掛けたりしません。
アメリカ合衆国では1985年の時点で歌詞になるくらいですから、両国の恋愛事情はかけ離れています。
それでも日本でも「クレイジー・フォー・ユー」はヒットしました。
当時はマドンナのする事なす事が何でも新しい女性像として受け入れられるような土壌があったのです。
しかし「ライク・ア・ヴァージン」「マテリアル・ガール」などの曲と比べるとこの曲はオーセンティック。
突飛なポップ・ソングが多かったマドンナにしては伝統的な歌詞で大人しいくらいです。
大人になったマドンナを魅せたかったのでしょう。
一方で私の方はこんなに盛り上がっているのに、あなたの反応はまだまだクールです。
この辺りに恋する女心の切なさが覗けます。