銀杏BOYZとは?
熱い魂を持つパンクバンド
銀杏BOYZは2003年に活動を開始しました。
中心メンバーの峯田和伸はその前、GOING STEADYというバンドで活動していました。
GOING STEADY解散後、銀杏BOYZを新たに結成したのです。
当初は峯田和伸のソロユニットとして、エレファントカシマシのトリビュートアルバムに参加するなどの活動をしていました。
その後、GOING STEADYの元メンバーなどを誘い、4人組バンドとして活動をスタートします。
何が起こるかわからない危うさと、ストレートに思いをぶつける純粋さが見る者の魂を揺さぶります。
現在のメンバーは?
峯田和伸(ボーカル・ギター)
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%9D%8FBOYZ
2018年現在の銀杏BOYZのメンバーは、峯田和伸ひとりです。
2013年に相次いでメンバーの脱退が発表されました。
現在は、ライブではサポートメンバーを加えて活動しています。
峯田和伸は銀杏BOYZでの活動のほか、俳優としても多くの映画やドラマで活躍しています。
俳優としてのデビューは2003年の映画『アイデン&ティティ』です。
みうらじゅん原作、田口トモロヲ監督、宮藤官九郎脚本という豪華な布陣で製作されたこの映画で、峯田は主役のバンドマン・中島役を演じました。
最近では2017年にNHKの朝ドラ「ひよっこ」で有村架純のおじさん役で出演していました。
あまりロックを聞かない人にとっては峯田を俳優としてしか認識していないかもしれません。
そういう人が銀杏BOYZのステージを見るとギャップに驚くでしょうね。
「夢で逢えたら」
収録アルバムは?
「夢で逢えたら」は2005年に発表されたアルバム『DOORS』に収録されています。
銀杏BOYZは2005年に『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』と『DOORS』という2枚のアルバム同時に発売しました。
この2枚を合わせて銀杏BOYZの1stアルバムとして考える人もいるようです。
2枚のアルバム合わせて28曲、140分を超えるボリュームになっています。
銀杏BOYZをスタートした時期の峯田和伸がどれだけ表現意欲があったのかということでしょう。
「夢で逢えたら」はそんな勢いのある状況の中発表された曲なのです。
歌詞の意味は?
「夢で逢えたら」は、先に書いたようにとても純粋な恋愛の思いを描いた曲です。
峯田和伸はライブのMCなどでも言ってますが、学生時代からあまり女性と上手く話す事ができなかったそうです。
その分、妄想で理想の女性像が生まれたり、恋愛に対する幻想がどんどん膨らんでいくことになったのかもしれません。
その童貞くささ(言っちゃった)が銀杏BOYZの魅力でもあると思います。
それでは「夢で逢えたら」の歌詞を見ていきましょう。
君の胸にキスをしたら君はどんな声だすだろう
白い塩素ナトリウム 水色の水着を溶かすなよ
君を乗せた宇宙船が夕暮れの彼方へ消えて
光るプラネタリウム いっそのこと僕を吸いこんでよ
君に彼氏がいたら悲しいけど
「君が好き」だという それだけで僕は嬉しいのさ
出典: 夢で逢えたら/作詞:峯田和伸 作曲:峯田和伸
「君の胸にキスをしたら」とありますが、この曲の主人公はそんなことはできないでしょう。
逆に、そんなことができる人間は銀杏BOYZの曲には出てきません。
「白い塩素ナトリウム」と「水着」という言葉から、学校の水泳授業の風景が想像できます。
片思いの女の子のスクール水着姿など、思春期の男の子にとっては妄想の対象でしかありません。
そんな、童貞男子の妄想と幻想が暴走した曲であることが冒頭の2行で理解できてしまうのです。
片思いでしかないけれど、君が好きという自分、その状態だけでも幸福感を得られる。
それ以上関係を進めようとは思わないのです。そんな資格も自分にはないと思っているから。
思春期の片思いをこれほど純粋に美しく歌った曲はあまりないのではと思います。
まぼろしみたいなメリーゴーランド
一瞬が永遠に感じて
僕の汗のにおいが君にばれたような気がした
君に彼氏がいたら悲しいけど
「君が好き」だという それだけで僕は嬉しいのさ
夢で逢えたらいいな 君の笑顔にときめいて
夢で逢えたらいいな 夜の波をこえてゆくよ
出典: 夢で逢えたら/作詞:峯田和伸 作曲:峯田和伸
「君」が好きな想いはあるけれど、現実にその想いを伝えることはできない。
夢で逢えるだけで僕にとっては充分なんだ、という切ない恋心が歌われています。
この曲がリリースされた時点で峯田和伸は27歳です。
こんな童貞くさい曲を歌う年齢ではないかもしれません。
でも、これが成立させてしまうピュアさを持っているのが峯田和伸というアーティストの魅力なのです。
銀杏BOYZの曲に心を動かされる10代の少年少女は多いと思います。
それは、この純粋さや切なさややりきれなさが思春期のリアルを映しているからだと思うのです。