「罰ゲーム」は陰を象徴した楽曲
若者から絶大な支持を誇る天才マルチクリエイターまふまふ。
今回はまふまふの生み出した楽曲の中でも、鋭い歌詞が特徴の「罰ゲーム」をご紹介します。
まふまふ自身、この楽曲は「陰」を象徴したものだと語っています。
社会への訴えかけや自問自答を繰り返す「ダークな曲調」は、若者の抱く疑問を代弁するかのようです。
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電車に乗車しながら出口を眺める少女が映っていますね。
「罰ゲーム」が収録されたアルバム「明日色ワールドエンド」のラスト、「終点」という曲も電車をテーマにしています。
一貫性を持たせているのでしょうか。
「もう許してよ」と言ったとたんに扉が閉まり、閉じ込められるのが印象的です。
歌詞から「罰ゲーム」の原点を読み解く
建物の最上階で今までを思い返す
最上階で見下ろしている
最終回が手招いている
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
「最上階」と「最終回」という言葉がいい感じの韻を踏んでいますね。
ぼんやりと自分を傍観している感覚なのでしょうか。
「最上」というところから、気持ちが頂点に達しているというのも伺えます。
そして建物の最上階で人が見下ろす姿を想像してみてください。
「最終回が手招いている」というのは飛び降りる衝動に駆られているとも解釈できますね。
いずれにせよ、煮詰まった状態であるのは確かです。
楽曲に込められた問題提起
等身大の愛を歌って
差別 暴力 見ないフリして
長い物に巻かれる同士
番いになって飛び去っていく
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
まふまふは「罰ゲーム」を偽善について歌った曲と語っています。
このフレーズではその偽善を表現しているのではないでしょうか。
学校教育では道徳的な行いを良しとしていますよね?
しかし実際いじめが起きた際、人々は手に負えない現状に対して見ないフリをする。
道徳を謳う学校側までも言い逃れをする。
まふまふが過去に受けたいじめの体験から感じた思いです。
そしてまふまふ自身も、自分に対して偽善を感じる場面があるとのこと。
こういった問題提起をしていても「自分では助けられない」から人に手を差し伸べられない現実がある。
歌詞の中で「愛を歌って」いるのは、まふまふ自身のことなのかもしれませんね。
そしていじめを見ないフリする人も自分も同じ「長い物に巻かれる同士」と表現します。
筆者の個人的な考えでは、全くの同じではない気がしますけどね。
そういった現状に目を向ける時点で、優しい心の持ち主だと思います。
強い自己嫌悪に満ちた思考
媚びへつらう自分への自己嫌悪
誰かに愛されたくて
誰もに媚び諂って
いつだって顔が歪んでいる
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ