ここでは誰かを愛することよりも「愛されること」を望んでいる自分がいます。
まるで欠けた何かを補おうとするように「愛」に飢えている。
「顔が歪んでいる」というのは、自己嫌悪の表れなのだと思います。
本来の自分の姿じゃない。
媚びへつらっている自分が嫌だ。
そんな 気持ちではないでしょうか。
愛に飢えているのは、過去に愛を与えられなかった経験からではないでしょうか?
自分自身でも自分を愛せていないように見えます。
満たされない愛を他人から供給しようとしているのかも。
心の傷を埋めるように愛想を振りまいている現状なのでしょう。
消えちまえ
消えちまえ
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
鋭い言葉ですね。
自己嫌悪に染まった結果言い放ちます。
こんな偽善な自分は消えてしまえ、という意味なんだと思います。
愛想をふりまく「君」が大嫌い
大嫌い 君が嫌い
君が大嫌い 君が嫌い
誰も彼もに笑いかけている
あの子はだれ
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
サビではキーが上がるとともに、まふまふの歌声も迫力を増しますね。
ここからは筆者の見解ですが「君」は自分自身を客観視しているのだと思います。
つまり、「君」とは「媚びへつらっている自分」ということ。
「現実の自分」と「潜在意識で傍観している自分」の2つの自我がいる状態といえますね。
傍観者の自分は「愛想を振りまいている自分」に「大嫌い」と繰り返します。
これが自己嫌悪の仕組みです。
まふまふは人の心の仕組みをよく理解しているのでしょう。
本心とかい離(=現実と理想がかけ離れていること)している自分に「あの子はだれ」と言っていますね。
これは「偽善者の自分は本当の自分ではない」という強い自己否定。
強い自己否定の裏には、強い願望が原動力となっているのだと思います。
「人を助けたい」という優しい気持ちが強いあまり、現実とのギャップが出ているのではないでしょうか。
自分の○○は「罰ゲーム」
大嫌い 君が嫌い
どうせいつかは裏切られるんだよ
ああ 人生とかいう罰ゲーム
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
サビの後半も見ていきましょう。
「どうせいつかは裏切られるんだよ」を読み解いていきましょう。
無理して作った人間関係というのは、いざという時に維持するのが大変です。
偽善は偽善で返される。
もし自分が過酷な状況に置かれたとき、同じように見ないフリされる。
そんな考えから「裏切られるんだよ」と潜在意識の自分が言っているのだと思います。
心の底でそれを自覚しながら人間関係を続けるのは辛いですね。
深い人間不信も感じとれるのではないでしょうか。
そしてこの生き様を「罰ゲーム」と表現。
タイトルの「罰ゲーム」とは、自分の人生が「罰ゲーム」という意味だったんですね。
どうしようもなくループする苦しい現状を突き付けられます。
生と死の境界線を彷徨う
最上階で再度衝動に駆られる
最上階で見下ろしている
もう一歩と手招いている
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
Aメロでまた建物の最上階から見下ろす場面にもどります。
「あと一歩と手招いている」という歌詞から、飛び降りようとしている確信が持てますね。
自分に対する「消えちまえ」という強い自己否定。
その結果、本当にこの世から消えてしまおうと考えているのではないでしょうか。
ボクも同じでした
駅構内のシャッター前で
切れそうな呼吸があった
先生、ボクも同じでした
ボクだって目をそらしていた
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
通りすがりの「弱った誰か」を助ける術なく見ないフリする。
それは「道徳」を謳いながら「いじめ」を見ないフリした先生と同じ。
自分だって偽善なんだという意味のフレーズと思われます。
ここではより具体的にその行為が示されていますね。