【罰ゲーム/まふまふ】ボクの○○は罰ゲームなのか?歌詞の意味を解釈!MVはYouTubeで公開中の画像

もうやめた

薄すぎて穴ぼこ空いた
正義感なんかじゃ誰一人だってさ
救えやしないようだ
もうやめた

出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ

ここでは自分の力不足を悔やんでいるのではないでしょうか。

「正義感」だけでは実際に人を救うことができない。

「穴ぼこ空いた」はもうボロボロで維持できない状態なのかもしれません。

「もうやめた」とは、正義を掲げる事をやめたのか。

それとも人生をやめたのか。

自問自答のあげく、ここで何かを手放します。

「ボク」が一番嫌い

大嫌い ボクが嫌い
ボクが大嫌い ボクが嫌い
バカと埃はひとつになるんだよ
お前のことだ
大嫌い 君が嫌いな
ボクなんかが 一番嫌になるんだ
ああ 人生とかいう罰ゲーム

出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ

1番での「君」が「ボク」に変わっていますね。

「バカ」や「埃」という言葉で自己否定します。

「おまえの事だ」は傍観している自分に放つ言葉でしょうか…。

偽善を嫌うところから始まりましたが、何より現状の自分が嫌いと言っています。

自分を嫌いながら生きるのはもの凄く辛いですよね。

「罰ゲーム」と人生を例えるのも共感できます。

道徳の原点に迫る

学校教育での一場面

ねむい目をこすってでも
読まされてきた教科書は
実は逆さまで しかもハリボテで

出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ

学校で義務的に教育されてきた「道徳心」について描かれたフレーズ。

「教科書は実は逆さま」と言っていますね。

逆さまの教科書を真剣に読まされる様子は、機械的に「教科書を読む」行為をさせられている印象です。

「これが正しい」とむやみに突きつけられ、しかも教科書の内容は大義名分を並べた「ハリボテ」と表現しているのでしょう。

「偽善」について遡ると「道徳心」を教育された場面に行きついたのではないでしょうか。

先生も何が正しいのか深く理解せず、教育の一環として義務的に教えていた様子ですね。

人生を「あおそび」と呼ぶ意味は?

こんな人生(おあそび)はもう
やめてしまいたいな

出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ

「正義」の原点に遡った結果、自分の中の「正義」が揺らいだのではないでしょうか。

ここで人生を「おあそび」と呼んでいます。

「自分は何のために生きてきたんだ?」と感じているのだと思います。

自分の人生に意味を見いだせず「人生をやめてしまいたい」とつぶやく。

これがAメロの飛び降りる衝動とリンクしますね。

生きるのが辛い。

いっそ命を絶ってしまいたい。

そんな心情を匂わせています。

全てが「罰ゲーム」

キライで溢れかえっている人生賛歌

大嫌い 君が嫌い
君が大嫌い 君が嫌い
キライキライで溢れ返っている
人生讃歌

出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ

偽善的な人たちを嫌い、自分自身を嫌い、嫌いで溢れかえっている人生

「人生賛歌」とは人生の素晴らしさを歌った楽曲のこと。

それを皮肉にもこの楽曲に当てはめていますね。

この「罰ゲーム」という楽曲も、問題提起をしつつも内容は批判に溢れた「偽善だ」というメッセージでしょうか。

もう何もかもが否定できてしまい、ぺしゃんこに潰されそうな感覚ですね。