もうやめた
薄すぎて穴ぼこ空いた
正義感なんかじゃ誰一人だってさ
救えやしないようだ
もうやめた
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
ここでは自分の力不足を悔やんでいるのではないでしょうか。
「正義感」だけでは実際に人を救うことができない。
「穴ぼこ空いた」はもうボロボロで維持できない状態なのかもしれません。
「もうやめた」とは、正義を掲げる事をやめたのか。
それとも人生をやめたのか。
自問自答のあげく、ここで何かを手放します。
「ボク」が一番嫌い
大嫌い ボクが嫌い
ボクが大嫌い ボクが嫌い
バカと埃はひとつになるんだよ
お前のことだ
大嫌い 君が嫌いな
ボクなんかが 一番嫌になるんだ
ああ 人生とかいう罰ゲーム
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
1番での「君」が「ボク」に変わっていますね。
「バカ」や「埃」という言葉で自己否定します。
「おまえの事だ」は傍観している自分に放つ言葉でしょうか…。
偽善を嫌うところから始まりましたが、何より現状の自分が嫌いと言っています。
自分を嫌いながら生きるのはもの凄く辛いですよね。
「罰ゲーム」と人生を例えるのも共感できます。
道徳の原点に迫る
学校教育での一場面
ねむい目をこすってでも
読まされてきた教科書は
実は逆さまで しかもハリボテで
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
学校で義務的に教育されてきた「道徳心」について描かれたフレーズ。
「教科書は実は逆さま」と言っていますね。
逆さまの教科書を真剣に読まされる様子は、機械的に「教科書を読む」行為をさせられている印象です。
「これが正しい」とむやみに突きつけられ、しかも教科書の内容は大義名分を並べた「ハリボテ」と表現しているのでしょう。
「偽善」について遡ると「道徳心」を教育された場面に行きついたのではないでしょうか。
先生も何が正しいのか深く理解せず、教育の一環として義務的に教えていた様子ですね。
人生を「あおそび」と呼ぶ意味は?
こんな人生(おあそび)はもう
やめてしまいたいな
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
「正義」の原点に遡った結果、自分の中の「正義」が揺らいだのではないでしょうか。
ここで人生を「おあそび」と呼んでいます。
「自分は何のために生きてきたんだ?」と感じているのだと思います。
自分の人生に意味を見いだせず「人生をやめてしまいたい」とつぶやく。
これがAメロの飛び降りる衝動とリンクしますね。
生きるのが辛い。
いっそ命を絶ってしまいたい。
そんな心情を匂わせています。
全てが「罰ゲーム」
キライで溢れかえっている人生賛歌
大嫌い 君が嫌い
君が大嫌い 君が嫌い
キライキライで溢れ返っている
人生讃歌
出典: 罰ゲーム/作詞:まふまふ 作曲:まふまふ
偽善的な人たちを嫌い、自分自身を嫌い、嫌いで溢れかえっている人生。
「人生賛歌」とは人生の素晴らしさを歌った楽曲のこと。
それを皮肉にもこの楽曲に当てはめていますね。
この「罰ゲーム」という楽曲も、問題提起をしつつも内容は批判に溢れた「偽善だ」というメッセージでしょうか。
もう何もかもが否定できてしまい、ぺしゃんこに潰されそうな感覚ですね。