こんな私「も」ですので、少し世間よりは遅ればせながらという意味だと思いますが、「おとな」になりました。
「大人」は漢字では書かない。
そして、欲しいのは愛です。愛なんです。恋じゃない。
そのあと、1コーラス目の結部はこのように締めくくられます。
結部で述べられる驚愕の事実
私のどこがダメですか? 可愛くなる努力は医者に頼っちゃったけど
将来の夢はお嫁さん 誰か叶えてね
出典: ○○ちゃん/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
ダメなんて言ってないし。
あいみょんもダメとは思ってなさそうですが、ここでさらっと整形疑惑に言及しています。
ここを切り取って、「○○ちゃんは整形手術の歌」とはとらえない方が良いでしょう。
あくまでも「可愛くなる努力」ですので、やっぱり徹底して、真剣に恋をしています。
本当に誰か、お嫁さんになる夢を叶えてあげてください!
あいみょんが書く歌詞の持つ力
起承転結という言葉があります。
ここまでの歌詞を起承転結に分けて章立てし、紹介してきました。「○○ちゃん」の1コーラス目は、完全に起承転結の作りになっています。
起承転結とは絶句という中国の4行詩の構成を意味する言葉で、劇的で人の心に浸透しやすい詩を書く手法です。
結論が最後になってしまうので、卒論や企画書を書くときの章立てには向きませんが、歌詞の中でストーリーを伝えたい場合などにはとても有効です。
2コーラス目では将来を語る!
○○ちゃんはメンヘラっぽいか
2コーラス目の歌詞は一気に紹介します。
妄想で出来あがる彼氏は きっとこの世にいたら気持ち悪いだろう
理想の高さは人一倍 夢見がちなのはわかってる
口癖はいいことないかな 幸せのレベルはもう下げた
今なら育ちすぎたこの胸で 誰かに愛を植え付けれるのに
こんな私もおとなになって いろんなことを覚えたわ
私のどこがダメですか? 料理だって人並みにできるのに
将来はきっといい女 誰かもらってね
出典: ○○ちゃん/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
2コーラス名は、1コーラス目よりも少し冷静な語り口です。
あいみょんの書く歌詞は良く「メンヘラっぽい」と言われます。
しかし、ここでは病的な盛り上がりというよりは、(必要以上に)自分の理想を下げていく光景が表現されています。
「夢見がち」、「幸せのレベル」などは、現実路線の引いた自己分析ですよね。ここまでは。
次に「医者に頼ったパーツ」ではなく「胸」に、そして「料理」とアピールポイントが移っていきます。
そして、最後は「将来」となります。今じゃないんだ。将来なんだ。
悲観的なのか、将来に対してだけは楽観的なのか。大丈夫だよと声をかけたくなりますよね。
誰か迎えに来て!
そして最後のパートの要旨はただ一つです。
「誰か迎えに来て」です。
私のどこがいけないか そんなの自分が一番に知ってる
得意なことも趣味もない おまけに勉強もできないけど
私は立派な女なの 愛し愛されることを夢見るの
私のどこがダメですか? 可愛くなる努力は医者に頼っちゃったけど
将来の夢はお嫁さん 誰か叶えてね
誰か迎えに来て
出典: ○○ちゃん/作詞:あいみょん 作曲:あいみょん
「○○ちゃん」には、別に悪いところなんてないなと思います。
どことなく可哀想な感じに表現されているし、実際に傷ついている場面も多いのでしょうけれど、わりと普通です。
普通の人の普通に起きうる状況であり、ドラマティックなものは何もありません。
だけれども、あいみょんが言葉で切り取った「○○ちゃん」のポートレートに写っているのは、普通の女子。
笑顔少なめながら、幸せな将来がきっとあるよと声をかけたくなるような女子でした。
おわりに…○○ちゃんはどこにいる?
ストーリー仕立ての楽曲のルーツは父の部屋
「○○ちゃん」は、あいみょんのCD化されている作品の中では、初期のものです。その意味では、あいみょんのルーツに近い楽曲であるといえます。
あいみょんの音楽的ルーツは、幼少期に聴いていた日本フォークやロックであるといいます。
はじめは吉田拓郎にショックを受け、PAの仕事をしていた父の部屋で浜田省吾や小沢健二などの作品と出会いました。
彼らの共通点は、ストーリー性のある歌詞を作り、それらを当時の最先端のメロディやアレンジに乗せて歌ってきた人たちであるという点です。
父の居ぬ間にそっと入り込んだ父の部屋でそれらのCDを聴き、先人たちの世界観に浸ってきた。
このことが、現在の「あいみょん」の音楽のあり方につながっていて、「○○ちゃん」の表現にも生きています。