否応なしに感情とリンクする「ただ君に晴れ」

匂いで引き出される記憶のような物語

たとえば誰も起きていない早朝。

窓を開けて朝独特の湿った匂いを嗅ぐと、10年前の合宿で同じ匂いを嗅いだことを思い出す。

皆さんには、そんな経験がありませんか?

匂いと記憶には密接に作用していて、記憶とリンクしている匂いさえあれば、私たちは強制的に記憶を取り出されてしまいます。

もちろん、その記憶の中には、当時抱いていた"感情"も含まれていて、一瞬にして10年前の自分に引き戻され、切なくなることも。

今回ご紹介するヨルシカ「ただ君に晴れ」は、こんな風に否応なしに感情とリンクさせられる夏の歌です。

「ただ君に晴れ」の歌詞を徹底検証!

はじけて飛び出る記憶たち

夜に浮かんでいた
海月のような月が爆ぜた
バス停の背を覗けば
あの夏の君が頭にいる

だけ

出典: ただ君に晴れ/作詞:n-buna 作曲:n-buna

「ただ君に晴れ」の歌詞<僕>の記憶の物語です。

その記憶は<海月のような月が爆ぜた>という<僕>の心象風景から始まります。

<爆ぜた>とは「はじけて割れた」ということ。夏の月を見たことで、まるではじけ飛んだように記憶が飛び出てきたことが想像されます。

<バス停の背>に居る<君>は、はじけて出てきた思い出のワンシーン。

きっと、それ<だけ>じゃないんだろうけど、「だけ」って言っちゃうのは、その記憶が飛び出してきたことに深く理由を付けたくないのでしょうか

この曲では「だけ」という歌詞が3回出てきます。イントロの最後、1番のサビの最後、そして曲の最後です。

前の歌詞からかなり間を空けて放たれる「だけ」。なにか深い意味が潜んでいそうです。

夏の思い出が次々と咲く

鳥居 乾いた雲 夏の匂いが頬を撫でる
大人になるまでほら、背伸びしたままで

遊び疲れたらバス停裏で空でも見よう
じきに夏が暮れても
きっときっと覚えてるから

出典: ただ君に晴れ/作詞:n-buna 作曲:n-buna

「ただ君に晴れ」の大前提として<僕>と親しかった<君>は、今<僕>の傍に居ません

<君>が居るのは、夏の匂いとリンクしている<僕>の記憶の中にだけ。

今、目に映る<鳥居>や<渇いた雲>、そして<夏の匂い>は、かつて<君>が居た思い出の中の風景とリンクしています。

あの夏の日、木陰の多い神社の林で虫取りや鬼ごっこなんかをして遊んでいたのかもしれませんね。

時には大人ぶってお互いに知識をひけらかしたり、将来の夢を語り合ったりしたこともあったのかも。

そして、遊びに疲れたらバス停の裏でボーっと空を見上げる。

それが2人の間で生まれた習慣だったのでしょう。

それらは<夏が暮れても><僕>が覚えている、記憶。

追いつけないまま大人になって
君のポケットに夜が咲く
口に出せないなら僕は一人だ
それでいいからもう諦めてる

だけ

出典: ただ君に晴れ/作詞:n-buna 作曲:n-buna

あの夏の日、大人になりたくて虚勢を張り合ったまま、実際には<僕>だけが<大人>になりました。

<僕>の心には、確かに"心の闇"があります。それは歌詞の<夜>に象徴されています。

<夜>が心に暗闇を招き、思い出の中の<君のポケット>にはびこって、浸食している。

その心の闇を誰にも打ち明けることは無いから、<僕>は<一人ぼっち>だと認識しています。

だけど<僕>は<それでもいいからもう諦めてる>のですね。

絶えず憩う<君>に<晴れ>

夏日 乾いた雲 山桜桃梅 錆びた標識
記憶の中はいつも夏の匂いがする

写真なんて紙切れだ
思い出なんてただの塵だ
それがわからないから、口を噤んだまま

出典: ただ君に晴れ/作詞:n-buna 作曲:n-buna

夏の風景を見て、次々と夏の記憶が思い出されます。

『<写真なんて紙切れ>で、<思い出>は<塵>だ』

というのは<僕>の思考。つまり、頭で考えたことです。

きっと感情は伴っておらず、心ではそう思えないのでしょう。

だから<わからない>と感じてしまうし、誰にも話せないと思ってしまうのです。