「THE YELLOW MONKEY」とは?

THE YELLOW MONKEYのおすすめ楽曲は?完全復活したイエモンのシングルまとめ!の画像

解散から15年も立つとTHE YELLOW MONKEYがどんなバンドがご存じない方もいるのではないでしょうか?

THE YELLOW MONKEYとは何なのか、少しだけお時間を頂いて紹介します。

THE YELLOW MONKEYとは、ボーカルでリーダーの吉井和哉が付けた自身のバンド名です。西洋圏で東洋人に対する軽蔑を込めた言い方「イエローモンキー」がバンド名の語源で、吉井のイニシャルがYから始まることからYで始まる英語を辞書で探したことがきっかけでした。

バンド名をつけるエピソードの中に「ダサくてシニカルな名前にしたい」と考えられたそうです。吉井和哉はバンド結成前に発案したと語っています。

吉井は雑誌のインタビューで洋楽へのコンプレックスがあり、日本のロックにはこだわりを持っているが「日本のロック」という言葉に洋楽へのコンプレックスがあり、それは永遠に消えない」と語っています。

バンド名のTHE YELLOW MONKEYを「イエモン」と略して呼ばれることを吉井を中心としたメンバーとコアなファンは良しとしなかったようで、活動再開の2013年に発売されたアルバム「イエモン-FAN’S BEST SELECTION」でようやく自身やメンバー親しみやすい略称で長く愛されるようにと使うようになったと語っています

THE YELLOW MONKEYの歴史を追いかける!

ではTHE YELLOW MONKEYはどの様な活動を行ってきたのか?

デビューから活動休止、再開までの歴史を振り返ってみましょう。

デビューからブレイクまで

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1992年、THE YELLOW MONKEYはコロンビアレコードからメジャーデビューを果たします。その時、コロンビアレコードとフォーライフレコードからメジャーデビューの打診があり、吉井和哉が決め兼ねていたところ、吉井の夢に美空ひばりが出てきて、「あとは任せた」と告げられた事からコロンビアからメジャーデビューするといったエピソードがあります。

その後はライブ活動を中心に活動し、ライブは毎回満員御礼、CD売上こそが至上命題でありましたが、幾多の路線変更を繰り返し、ついに5thシングル「Love Communication」でスマッシュヒットを果たしたのが1995年、デビューから実に3年たった頃の話です。

その後は出す曲全てがオリコンチャート入りして、メジャーアーティストの一員となり1990年代を代表するロックバンドに成長します。

レコード会社移籍から活動休止まで

THE YELLOW MONKEYは1996年にコロンビア・レコードからファンハウスへレコード会社を移籍します。

移籍の理由は「色々と折り合いのつかないことが多くなってきた」と吉井自身が語っています。

この頃のTHE YELLOW MONKEYは人気絶頂期、11thシングル「楽園」、12thシングル「LOVE LOVE SHOW」など後世に残る名曲を残していきます。

1997年にはフジロックフェスティバルに出演、同年8月からの全国ツアーは4万人近いキャパシティーの会場を軒並みソールドアウトにして伝説を残します。

しかし、この勢いも1998年を回ると影が指します。

ライブ中に音響スタッフが奈落に落下した死亡事故、吉井自身がライブ後に救急搬送されるなど不幸が続きます。

また、バンドメンバーそれぞれが多忙となってしまい、楽曲作りも進まなくなってしまいました。

この時吉井は「バンドは存続しているが微妙な距離感が生まれた」と語っています。この微妙な距離感が埋まることはなく、2000年を過ぎたあたりからTHE YELLOW MONKEYはバンド活動の休止が決定的になります。

その後2004年にバンドは事実上解散、吉井を含めメンバーは全員ソロ活動に転向します。

 

THE YELLOW MONKEYのシングルを厳選して紹介!

THE YELLOW MONKEYがこれまでに発売したシングル曲は全25曲(企画シングルは除く)です。

ここではその中から厳選した8曲を紹介します!

「太陽が燃えている」

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1995年に発売されたシングルです。

発売当時オリコンシングルチャートでバンドとして初のTOP10入を果たしたシングルで、とうじのデレクターからは「この曲が最もベストな曲」と太鼓判を押された一曲。

公式YouTubeチャンネルの再生回数は180万回を超えています

「JAM」

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THE YELLOW MONKEYの問題作。

「JAM」を制作した当時、ライブツアーでの事故や、友人でプロモーターだった中原繁氏を思い出す一曲だと吉井自身は語っています。

YouTubeの再生回数は210万回を超えており未だに人気の高さを伺える一曲です。