amazarashiの「多数決」とは?
「多数決」は、2016年2月にリリースされたamazarashiの3枚目のフルアルバム『世界収束二一一六』に収録されている楽曲です。
アルバムタイトルは、自分たちの次の世代、間接的に関わっている未来、という意味。
すべての作詞作曲を手掛けたボーカル・秋田ひろむさんは、自分の言いたかったことを詰め込んだ「聴いててしんどいアルバム」と語っています。
『世界収束二一一六』収録曲リストはこちら
1. タクシードライバー
2. 多数決
4. 分岐
5. 百年経ったら
6. ライフイズビューティフル
7. 吐きそうだ
8. しらふ
9. スピードと摩擦
10. エンディングテーマ
11. 花は誰かの死体に咲く
12. 収束
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/世界収束二一一六
amazarashiの魅力は、なんといっても歌詞で紡がれる言葉の持つ力、世界観だと思います。
今回は、このアルバムの2曲目「多数決」の歌詞について考えていきたいと思います!
MVも重要な要素です!
amazarashiは2010年のデビュー当初、メディアへの露出がなくプロフィールも謎に包まれた、とてもミステリアスなバンドでした。
現在はライブ活動も行っていますが、ステージの前面にスクリーンを設置して映像を投影し、確認できるメンバーの姿はほぼシルエット。
余計な先入観を抜きにして、楽曲と歌詞、そしてMVで世界観を構築する、聴く人の内面に直接訴えかけて感情を揺り起こすタイプのバンドです。
是非MVをご覧になりながら、歌詞を考えてみてくださいね!
「多数決」の歌詞の意味を考える
臆病者ほど人を傷つけると言うなら
一番臆病なのはこの世界なのかもしれない
優しい奴ほど背中を丸めて歩く 腹いせにこの都会を踏んづけて歩く
時代は変わっていくのではなく吹きすさぶのだ
向かい風に逆った奴らは行っちまった
息を止めた憐れな孤独の悲しみ共 空元気が繁華街に反響して空虚
出典: 多数決/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
冒頭では、この世界は人を傷つけている、と歌っています。
その中でも、一番強く、深く傷つけているのはこの世界だ、と。
もしかしたら本来、優しさと臆病はどっちに転ぶかというだけで表裏一体のようにも感じます。
長いものに巻かれてみたり、なんとなく人に同調してみたり。
自分で考えることをやめて、流されてしまった臆病な人たちが多数派を作ってしまうのかもしれません。
そして、多数派によって価値観や善悪、常識、世界のありとあらゆることが決められてしまいます。
割を食うのは、誰かを傷つけない優しさを選んだ人なのでしょう。この時代は少数派にとって、風当たりが強いものです。
逆らいもせず、流されもせず、息を止めるほどに強い圧力を受けて、立ち止まってただじっとやり過ごすことは、生きづらくて、息苦しくて、孤独で。
空元気を出してみたところで、ただただ空虚に響くばかりなのです。
多数決は少数派を切り捨てる
価値観も善悪も 多数決で決まるなら
もしかしたら 生まれる場所を間違えたのかもな
もういいよ いいよ この部屋は世界の隅で
機会を今かと、窺うには丁度いいかもしれない
賛成か 反対か 是非を問う 挙手を願う
出典: 多数決/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
多数決というのは、多数派の意見を採用して意思を決定する方法ですよね。
たとえば政治の世界でも採用されている方法ですが、そこには常に「多数派による専制」があるといわれます。
つまり、多数派というだけで思い通りにできる一方、少数の意見は切り捨てられてしまうということ。
ある意味、多数派の独断です。
価値観も、善悪すらも、多数決で決まってしまう世の中。
でも、もし百年前だったら、今生きている世界ではなかったら、もしかしたら今の自分が受け入れられた価値観だったかもしれない。
現実の賛同者は「この部屋」にいる自分くらいで、世界の中心ではなく隅。
けれども、誰にも注目されずに自分以外を眺めることができる世界の隅は、世の中の動向を窺ってじっとしているのには、丁度いいのかもしれません。
多数派が少数派に面倒を押し付ける 持つ者は持たざる者を食い物にしてる
強い者が弱きを挫いて溜飲を下げ 都会は田舎をゴミ捨て場だと思ってる
人類最後の解決法が戦争だけなら 進化論も当てにはならなかったみたいだ
その実、知恵のある振りをした獣だから
空腹もこれ以上無い動機になりえた
出典: 多数決/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
多数派と少数派をはじめとした世の中の対立構造は、ほとんどが強者が弱者から搾取する構図になっています。
いまだに武力をチラつかせた外交がまかり通る世の中なので、「人類最後の解決法が戦争だけ」の世界はまだ変わらなさそうです。
武力で争ってどちらかがどちらかを制し、勝敗を決める戦争は、猿山のボスを決める覇権争いから何も進化が無いようにも思えます。
もっと言えばそれ以前、太古の昔から繰り返されてきた、自然界の弱肉強食から何も変わっていません。
しかし人間は、進化した生き物であるはず。本能以外にも理性がある、といわれますよね。だから獣とは違う、と。
もし仮に、弱きを助けるための大義名分を掲げた戦争があったとしても、その裏には必ず実利があるはず。
現代でも繰り返されている悲しい争いを見る限り、人間はまだ、きれいごとで上手くコーティングする知恵を持っただけの、欲望に忠実な獣なのでしょう。