リセットできない僕の心のライフゲージ
どうせ僕のこと BABY 捨ててしまうのさ
だから僕とゲームで負けちゃう前に
リセットボタン押していいよ
逃げるの下手な君特別ルールさ
出典: VOID/作詞:大森靖子 作曲:大森靖子
Bメロの1行目のフレーズだけで“僕”の自己評価の低さが伝わります。
続く歌詞に綴られるのは大好きな“君”のために“僕”が投げかける精一杯の優しさです。
しかしこれらの独白はすべて“僕”の妄想でしかありません。
『VOID』の歌詞はすべて“僕”の主観で描かれるという構造を取っています。
つまり“君”の本当の気持ちは楽曲には一切登場しないということです。
一方で主人公の“僕”も空っぽな心を抱えているため自身の本当の気持ちを認識することができません。
そのことは同時に他人の本当の気持ちに対しても鈍感になってしまっていることも意味するのです。
恋愛をゲームに例えてしまう悲しいラブソングである『VOID』。
人生はシューティングゲームのようにオープニングからやり直すことはできません。
“君”に渡した優しさの数だけ減っていく“僕”の心のライフゲージ。
きっと主人公はそのことにだけは気づいているのかもしれません。
なぜなら心をすり減らすことは痛みを伴うからです。
VOID ME!!
僕を消してくれ
笑わなくっても余裕で天使さ
愛したふりして 抱きしめてくれたら
VOID ME VOID ME VOID ME
友達でもない 恋人でもない
もしかしたらもう二度と会うこともない
VOID LOVE VOID LOVE
何もなかったかのように
出典: VOID/作詞:大森靖子 作曲:大森靖子
『VOID』のサビのシンガロング・パート、つまりみんなで声を揃えて歌うパート。
そこで繰り返されるのは「僕を消してくれ」という悲痛な叫びです。
それはかつてカート・コバーンが繰り返し叫んだ絶望にも似ています。
そして峯田和伸が『NO FUTURE NO CRY』でリフレインした未来への希望をも内包しているのです。
主人公の“僕”は空っぽだから「僕を消して」という言葉でしか愛を渇望することができません。
本当の気持ちを表現できない“僕”は正反対の言葉しか発することができないのです。
大森靖子は誰が為に歌い続けるのか?
“僕”という人称代名詞
どうせ僕のこと BABY 女友達に話さないでしょ
生きてる意味は言葉を持たない蟲でも知っている
確かめあうのはナンセンスだよな
出典: VOID/作詞:大森靖子 作曲:大森靖子
ここで大森靖子はなぜ“僕”という一人称を使用したのかについて考察してみましょう。
“僕”という言葉はとても不思議な一人称です。
この人称代名詞の語源は“下僕(しもべ)”、つまり自身を貶める意味を持っています。
同時に“僕”と自身を呼称する方は男性に限らないのです。
実際に女性でも“僕”を使用する方は少なくありません。
大森靖子はすべての自己否定をせずにいられない同志に向けて『VOID』を歌っているのではないでしょうか?
“僕”はここでも“君”の気持ちを自己解釈し自分を貶めています。
そして比喩として使用される存在は“蟲(むし)”です。
限界まで自己否定を繰り返した“僕”は続くサビでようやく自身の本音と向き合います。
吐露される本当の気持ち
人称の変化=心境の変化
ロマンチックな夜の飾りで
運命ぶった情けない僕らは
VOID ME VOID ME VOID ME
出典: VOID/作詞:大森靖子 作曲:大森靖子
2度目のサビで主人公の心境に大きな変化が訪れていることにお気づきでしょうか?
心の奥深くで堅牢な檻に閉じ込めていた本当の気持ち。
“僕”が本音と正面から向き合う決意をしたことが伺えるのです。
それは“僕”から“僕ら”へと変化した人称の変化に端緒に表れています。
そこには当然“君”が含まれていますが2人の心が通じ合ったわけではないでしょう。
“僕”は意識的なのか無意識なのか分かりませんが“君”への渇望を言葉にしてしまったのです。