1980年発売のアルバム「ラスト・ワルツ」収録曲
謎に包まれた森田童子さん
【たとえばぼくが死んだら】は森田童子さんのアルバム【ラスト・ワルツ】収録曲です。
森田童子さんは、1952年青森生まれのシンガーソングライターでした。
長いカーリーヘアーに丸いサングラスがトレードマーク。
森田童子という歌手名は、本名でありません。
名前とパンツスタイルのファッションから、中性的な印象を受けますが、実は女性アーティストです。
1975年のデビューから1983年の実質引退までの間、徹底して自らのスタイルを貫いています。
引退してからは人前からは一切身を引き、1990年代に再ブレイクしてもその存在は謎に包まれたまま。
2018年に亡くなるまで、どのような生活を送っていたのかほとんど情報がありません。
野心や欲得がなく、自分の人生哲学を貫く生き方がとてもストイックでかっこいいのではないでしょうか。
消えゆくままの美しさ
森田童子さんは、1960年から1970年代の学生運動の時代に思春期を送っています。
友人が学生運動で逮捕された経験から、歌をつくりだしたというエピソードは有名ですね。
森田童子さんの歌手活動には、権力に対する強い拒否感があったのだと思うのです。
彼女の歌は、とても繊細で荒々しいところはどこにもありません。
彼女自身が病弱であったことも起因しているかもしれません。
力で戦うのではなく、声なき声を紡いでいくことによって、大きな力と闘っていたのではないでしょうか。
森田童子さんの歌は、滅びゆくものの姿をありのまま見つめることの美しさを教えてくれます。
【たとえばぼくが死んだら】の作詞・作曲は森田童子さん。
この歌は、死の悲壮感よりも、死の優しさの可能性を表現しているのではないでしょうか。
お願い
記憶を消して
たとえば ぼくが死んだら
そっと忘れてほしい
出典: たとえばぼくが死んだら/作詞:森田童子 作曲:森田童子
主人公の“ぼく”は、友人にお願いをしています。
もし、自分が死んでしまったときのことについてなのですが、忘れて欲しいと言うのです。
別れに対して、自分のことを忘れないで欲しい、という言葉はよく目にすることがあるでしょう。
でも、忘れて欲しいということで主人公の考え方が見えてきますね。
一見、物事に執着のない人のようにもみえるのです。
ぼくのことは、忘れてくれてもぼくは大丈夫だよ。
そんな風に言っているのでは、ないだろうかと一瞬思います。
しかし、次のフレーズを見ると、違った一面が見えてくるのではないでしょうか。
ぼくの居る場所
淋しい時は ぼくの好きな
菜の花畑で泣いてくれ
出典: たとえばぼくが死んだら/作詞:森田童子 作曲:森田童子
ぼくは、友人に言っています。
辛くなって泣くときは、菜の花畑に行って欲しいと。
その場所は、主人公が好きな場所なのだそうです。
きっと、自分が好きな場所には自分の魂があるからなのではないでしょうか。
肉体はなくなっても、きみを見守ることができる。
ぼくはきっとそこに存在している。
だから、安心して忘れていいんだよ、と微笑んでいそうです。
このように言われると、少し心が軽くなるのではないでしょうか。
別れに直面した相手に対する、さりげない気遣いと優しさが窺えます。
もしも眠れなかったら
窓から見える
たとえば 眠れぬ夜は
暗い海辺の窓から
出典: たとえばぼくが死んだら/作詞:森田童子 作曲:森田童子