ポルカドットスティングレイの「夜明けのオレンジ」とは?
「夜明けのオレンジ」は2015年4月29日発売の自主制作ファーストシングル『夜明けのオレンジ』が初出の曲です。
その後2015年6月13日発売の自主制作シングル『極彩』に収録。
上記二つはライブ会場・デジタル配信限定なので、初めてこの曲がCDとして世に出たのは、『大正義』収録曲としてでしょう。
この『大正義』というファーストミニアルバムこそがポルカドットスティングレイの名が一気に広まったきっかけとも言えます。
そして、2017年11月8日発売のメジャーデビュー作品となったファーストアルバム『全知全能』にも「夜明けのオレンジ(全知全能ver.)」としてこの曲が収録されました。
今回はそんなポルカドットスティングレイを象徴する一曲を、バージョンによる違いも含め、解説していきます。
ファーストシングル「夜明けのオレンジ」から『全知全能』へ
『夜明けのオレンジ』のシングル盤はすでに廃盤となってしまっていますが、『極彩』はアマゾンにもデジタルミュージックとしてありました。
ただ、初期の「夜明けのオレンジ」が聴ける音源としてはYouTubeの方で公開されているMVも、リリースとほぼ同じタイミングで公開されたものです。
というわけで、MVと筆者の私物の『大正義』、『夜明けのオレンジ』の3バージョンの「夜明けのオレンジ」を聴き比べてみたいと思います。
「夜明けのオレンジ」の3バージョンの違いを聴き比べ!
「夜明けのオレンジ」の、MVと『大正義』と『全知全能』のバージョンを比べると、誰でもわかるポイントは、ギターソロでしょう。
まず、MVのバージョンと比べて、『大正義』と『全知全能』に収録されている「夜明けのオレンジ」のギターソロでは全く違うものとなっています。
シンプルなMV時のリフに比べ、二つのアルバムのバージョンは手数も格段に増え、高音を聴かせる滑らかなタッチのギターの音色が特徴のリフになっています。
『大正義』と『全知全能』に関してはMVとの差のように明確な違いはありませんが、演奏スキルが上がっているのがわかりますね。
次は、そんな成長を続けるポルカドットスティングレイの原点ともなった「夜明けのオレンジ」の歌詞を解釈します。
ポルカドットスティングレイ「夜明けのオレンジ」の歌詞を解釈!
僕が教祖であるかのように君が盲目的に信じてくれればいいのに
もしも僕が教祖になったなら
今日から君は盲目さ
口を開けて待っていてくれ
信じるしかないのだから
全ては有って無いようなものさ
肝心なのは信仰心
見通してくれよ子猫と同じ目で
絵空事の様
出典: 夜明けのオレンジ/作詞:雫 作曲:雫
「もしも僕が教祖になったなら 今日から君は盲目さ」という一度聞くと忘れられないような歌詞から始まる歌い出し。
自分がもしも宗教の「教祖」だったら、「君」は「盲目」に自分を信じてくれるだろうかということですね。
そのくらい自分の恋人に信じてほしいという願望が強い「僕」の姿が浮かぶ歌詞です。
そして、「君」は親鳥を巣で待つしかないだけの雛のように、「口を開けて待っていてくれ 信じるしかないのだから」と言っているのです。
宗教の話でなくても、愛だって「全ては有って無いようなもの」だから、「肝心なのは信仰心」 で、無駄に疑ったりしないでほしいということでしょう。
「子猫と同じ」無駄な先入観や偏見が混じっていない純粋な「目で」 「絵空事の様」に「見通してくれ」という歌詞は、先のことなんて「君」が考えなくていいということでしょう。
圧倒的な言葉の力でリードしていく男性の姿が浮かぶような歌詞で、フロントマンである雫さんのカリスマ性と重なりますね。
続きの歌詞も見ていきましょう。
波に飲まれて消えるように君に僕が染み込んでいくのを待っている
Wait till I'm inside of you
波に飲まれて消える様
Love you believe in nothing
If devine sun appeared in front of me
それなら甲斐甲斐しく膝をついて
考えるのをやめるさ
弱さ見せて踊る
出典: 夜明けのオレンジ/作詞:雫 作曲:雫
英語の歌詞も含めて解釈をすると、この部分の歌詞は、「波に飲まれて消える様」に「君」の中に「僕」が染み込んでいくのを待っている。
そして、何も信じずに君だけを愛し続けるが、もしも自分の前に太陽神が現れたなら、その時は神の前に跪いて「考えるのをやめる」と言っています。
一見矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、逆に言えば、自分の目の前に神様でも現れない限りは「僕」が信じ、愛するのは「君」だけということです。
サビの歌詞で「盲目」的に信じてほしいと言っていたのは、自分が「盲目」的に「君」を信じているからこそ、同じだけの愛を返してほしいということだったのですね。
そうやって、自分の「弱さ」も「見せて踊る」というのが「僕」の主義なのでしょう。
正義では守りきれないような弱い感情も吐露して大正義で救いたいというアルバム『大正義』で表したバンドの姿勢にも通じるところがある気がしますね。