MadonnaとRebel Heart
2015年に発売された『Rebel Heart』の邦題は「反逆者の心」です。
この曲は近年のMadonnaの代名詞というに相応しい曲ではないでしょうか。
それは自身通算10回目となるワールドツアー「Rebel Heart Tour」のタイトルにもなっているからです。
Madonnaは、このアルバムで日本でのオリコンTop10入り通算23枚目を果しました。
彼女が今まで世界に与えてきた影響は凄まじいものです。
今はメジャーになっているミュージックビデオを世に広め、作品の売上枚数は3億枚以上といわれています。
今もなお、強烈な存在感を放つ彼女が私たちに伝えたい反逆者の心とは一体何なのでしょうか。
歌詞からじっくり紐解いていきたいと思います。
少女の小さな反抗
Madonnaは決して恵まれた幼年期を過ごしたわけではありません。
この曲の出だしにも、幼い頃の自分が影を落としています。
反抗心の芽生え
I've lived my life like a masochist
Hearing my father say,
'Told you so, told you so!
Why can't you be like the other girls?'
I said, 'Oh no, that's not me
And I don't think that it'll ever be'
出典: Rebel Heart/作詞:Madonna,Bergling,Pournouri,Fakir,Lidehall,Pontare 作曲:Madonna,Bergling,Pournouri,Fakir,Lidehall,Pontare
Madonnaは幼少期に母親が乳がんで他界し、父親と再婚相手に育てられていました。
しかし、他の曲でも歌われている通り、衝突することも多かったというのはよく知られています。
小さいMadonnaの幼い反抗…。
それがこの一節に表現されているのではないでしょうか。
私はマゾヒストのように生きたの
父の言葉を私は聞き続けたわ
そういったよな、そういっただろう
どうして他の女の子みたいになれないんだ?
私は言ったの
嫌よあれは私じゃないし
いつかそうなるとも思わないわ
出典: Rebel Heart/作詞:Madonna,Bergling,Pournouri,Fakir,Lidehall,Pontare 作曲:Madonna,Bergling,Pournouri,Fakir,Lidehall,Pontare
父親の言葉は幼いMadonnaには届いていません。
心からYESとは思っていなくても、奴隷のように話を聞くしかなかったのでしょう。
おそらくMadonnaは幼い時から、人と同じような箱に入って生きることに抵抗があったのではないでしょうか。
親が期待している自分の姿は、自分が望む姿とどこか違うのです。
誰しもが一度はそう感じても、中々それを言葉には出しません。
しかしそれをしっかり父に伝えたことは、彼女が自分らしく生きていく為の最初の一歩になったのです。
孤独な船出
Thought I belong to a different tribe
Walking alone, never satisfied, satisfied
Trying to fit in but it wasn't me
I said, 'Oh no, I want more
That's not what I'm looking for'
出典: Rebel Heart/作詞:Madonna,Bergling,Pournouri,Fakir,Lidehall,Pontare 作曲:Madonna,Bergling,Pournouri,Fakir,Lidehall,Pontare
勤勉だったMadonnaは、ミシガン大学に奨学金で入学するも1年半で中退しています。
この時のMadonnaは父親のいう通りに生きようと、もがいていたのかもしれません。
彼女の苦悩がひたひたと伝わってくる部分です。
私だけ別の部族にいるのかと思うこともあったの
たった一人で孤独に歩き続けたけれど
決して満たされなかったわ
型にはまろうとしてみたけど
それは私ではない
私は言ったの
嫌だ、もっと欲しい
私が探しているのはこれじゃない
出典: Rebel Heart/作詞:Madonna,Bergling,Pournouri,Fakir,Lidehall,Pontare 作曲:Madonna,Bergling,Pournouri,Fakir,Lidehall,Pontare
皆と同じことをしようとしても、心がついていかないのです。
無理やり周りと同じに揃えようとしても、自分の心は孤独を感じてしまう。
いい子でいようと、周囲に合わせてみても居心地が悪い…。
ここにいるのは本当の自分ではない、と感情が爆発しています。
周りと自分は違うのです。
そう思いながら孤独に生きてきた彼女が、遂に自分の求める道を突き進むことを決意した瞬間でした。
彼女は19歳でニューヨークへ旅立ちました。
辛い戦いを支えたもの
曲中で歌われている彼女の道は、生きる上での道標だったのかもしれません。
しかし、それはコンクリートで塗装された歩きやすい道ではありません。
茨が生い茂る苦痛を伴う道でした。