何度も何度も立ち止まって
今現在やってる事が本当にやりたい事なの?
今現在やってる事が自分に向いてる事なの?
なんて後戻りとか立ち止まり 時には後ろを振り返り
胸の中の迷いや葛藤に絡まってく感情
八王子の南口から家までへの帰り道
待ち遠しい友達と家族に いつでも会える道
でも居心地がいいからって甘えて
これでいいのかなって気持ち抱えて
引っかかってんなら変えていこう 一歩ずつ前へと
出典: ちっぽけな勇気/作詞:FUNKY MONKEY BABYS 作曲:FUNKY MONKEY BABYS
最初2行の問いかけは、なかなか鋭いような気がします。
年代問わず、誰もが「うっ」となるかもしれません。
今の仕事は本当にやりたいことか、自分に向いているのか、不安になることは誰でもあるでしょう。
しかもこれらの問いは、自分の心から湧いてきます。
毎日同じことをやって過ごしていると、そう思い始めても不思議ではありません。
それが頭を掠める度に立ち止まりそうになってしまう。
同じことを経験したことがある人は、たくさんいるのではないでしょうか。
5行目で東京の八王子が登場しますが、そこはFUNKY MONKEY BABYSの3人の出身地です。
彼らもまた、歌詞あるような思いをしていたのかもしれません。
「辛くて寂しくて甘えたいけれど、本当にそれで良いのかな」と思いながら音楽活動を続けていたのでしょう。
「そう感じるのはみんな同じなんだ」と思うと、気が楽になるような気がしませんか?
道の先にあるもの
傷だらけになって、疑問にぶつかりそうになって。
それでもここまで歩いてきました。
それは無論夢のためですが、その歩いた道の先には一体何があるのでしょうか。
探し物
いつだって探していた 自分らしくいられる そんな場所を
情けないほど小さな勇気と 恥ずかしいくらいの大きな希望を
胸に掲げて いつまでも
出典: ちっぽけな勇気/作詞:FUNKY MONKEY BABYS 作曲:FUNKY MONKEY BABYS
大人になった後でも、自分らしくいられる居場所を探していたようです。
いつの頃からかは歌詞からでは分かりませんが、大人になって孤独を感じ始めた時からなのでしょう。
気が付いたら探していたのかも?
ヒーローのような勇敢さがあるわけではありませんが、「何かを成し遂げよう」という気持ちは同じ筈。
小さな勇気と大きな希望を抱きながら、居場所を探すのです。
そこを探し当てるのも、ひょっとして夢の一部だったりするのでしょうか。
その根拠もない大きな大きな希望は、若いからこそ抱けるものですね。
何年も経つと、色々なものを知ってしまって次第に抱けなくなる人も多いですから。
明るい未来へ
俺たちはちっぽけなまま
何もわからないけど 何ひとつわからないけど 笑いあってた
手をつないで 肩を組んで
またあの河川敷で またいつかの河川敷で
こんな歌を一緒に歌うんだ
出典: ちっぽけな勇気/作詞:FUNKY MONKEY BABYS 作曲:FUNKY MONKEY BABYS
社会に出る前なのか、友人や仲間たちとたわいもない話をしていたようです。
これから行く世界がどんなところなのか、自分がどうなっていくのか想像もつかなかったことでしょう。
次に会うのは夢が叶った後でしょうか。
また同じように笑って騒いで遊んで…昔のようにはしゃぐのかもしれません。
いつになるかは分からないでしょうが、そんな日を夢見ています。
それを現実にするため、また毎日傷だらけになっても歩き続けるのです。
「ちっぽけな勇気」が共感される理由
「ちっぽけな勇気」は若い人を中心に共感を集めています。
無論それには理由があるわけですが、それは何なのでしょうか。
そこには「現代」の若者特有の心持ちと関係しているのではないか、と筆者としては思うのです。
「ちっぽけな勇気」は、彼らが思わず「分かる!」と頷くような要素が散りばめられています。
それらを理解することで、若い人の心理も分かるかもしれませんよ。