2行目では、老女について面白い表現が出てきます。

彼女はなぜ、倒れたにもかかわらず笑っているのでしょうか。

気恥ずかしくて、大丈夫だと周囲に伝えるために、愛想笑いをしているのでしょう。

満員電車で倒れたら、だれかに心配してほしいと思うかもしれません。

なのになぜ、笑って大丈夫アピールをしたのか。

それは、周りの通勤者たちも必死の形相だったからではないでしょうか。

老女は、自分だけが辛い状況にいるわけではないと悟ったのです。

主人公は老女が転んだシーンを客観的に歌うことで、自分や周りの人間の必死さを伝えているのです。

この表現方法も実に巧みですね。

夢に向かっているようでレールに乗せられている?

「東へ西へ」の歌詞の2番は、夢を見ながらも結局はレールの上という皮肉さも歌っています。

主人公が女性に会うことを心待ちにするように、他の人々にもそれぞれ楽しみがあるはずです。

そして、彼ら1人1人に将来の目標や夢があるのでしょう。

しかし、現在の状況を鑑みれば、結局はみんな同じ満員電車のレールの上に乗っているだけです。

主人公は、電車に乗る全員を歌詞で励ましてはいます。

ただその言葉の奥に、努力してもどうにもならないという不安や恐れ、あきらめも秘めているようです。

自分もその中にいる連帯感を受け、みんなで立ち向かえるような、そうでないような不安が表れています。

彼の心は今とても複雑で入り組んでいる状態なのです。

女性にやっと会えた3番の歌詞

一気に喜びが溢れる

花見の駅で待ってる君に やっとの思いで逢えた
満開花は 満開君は うれしさあまって気がふれる
空ではカラスも敗けないくらいによろこんでいるよ
とまどう僕にはなんにも出来ないだから
ガンバレ みんなガンバレ 黒いカラスは 東へ西へ

出典: 東へ西へ/作詞:井上陽水 作曲:井上陽水

自宅での歌詞や電車の歌詞とはうって変わって、喜び溢れる歌詞となりました。

カラスが鳴いているのでしょう。

時間帯は夕方です。

主人公は、鳴いているのカラスを、喜んでいると捉えています。

一気にポジティブになりました。

女性に会えたのが、よほど嬉しかったのでしょう。

しかし、2行目の歌詞を見ると、女性の方が嬉しさの度合いが大きかったようです。

本当におかしくなっているわけではないと思いますが、かなり変わった表現になっていますね。

もしかすると主語を省略しているだけで、おかしくなっているのは自分なのかもしれません。

だとすると、女性に会えたことで、舞い上がりすぎているのでしょう。

なぜ戸惑うのか?

主人公は女性と頻繁に会っていたわけではないのかもしれません。

もし何回もあっているなら、相手に会って戸惑うことはないでしょう。

まだお互い、性格などがつかみきれていないので戸惑ってしまうのだと思います。

主人公がうれしすぎて舞い上がっているにしろ、女性がおかしくなったに見えるにしろです。

そして、主人公はどうすることもできません。

自分でもそれを認めてしまいました。

不甲斐なさを噛み締めているのでしょうか。

どちらかというと、ちょっとした自分への失望を感じた瞬間を切り取っているだけなのだと思います。

上手くコミュニケーションが取れない。

でもそれはお互い様で、他の人々だってきっとそうだろう。

そんな心情とともに、自分だけでなくみんなのことまで鼓舞します。

ラストはサビの繰り返し

ガンバレ みんなガンバレ 月は流れて 東へ西へ
ガンバレ みんなガンバレ 夢の電車は 東へ西へ
ガンバレ みんなガンバレ 黒いカラスは 東へ西へ

出典: 東へ西へ/作詞:井上陽水 作曲:井上陽水

ラストは1〜3番のサビを繰り返して終わります。

生きとし生けるものすべてが、東から西へ移動する月や太陽のリズムと一緒だと言っているようです。

それぞれの良いときと悪いとき、すなわち浮き沈みなどを表しているのでしょう。

歌詞のまとめ

日常のワクワクを不思議な視点で切り取った「東へ西へ」。

東や西は、太陽がどのように動くかということです。

しかし太陽だけでなく、人生のような大きなものを表現しています。

主人公は日々を精一杯生きながらも、自分は所詮社会や地球の一部でしかないと悟っているようです。

自分の人生に意味はあるのか?

その問いかけに、真の意味で明確な答えはありません。

満足できるような回答を一生探せないかもしれない。

そんな不安にかられながらも、一生懸命生きるしかないと結論づけているのでしょう。

ある種、あきらめの境地を歌っているのです。

だからこそ、多くの人々に響く名曲となり得たのではないでしょうか。

最後に、井上陽水おすすめ記事を紹介して終わります。