『caribou』楽曲解説
コミックソングの一面もある?
イントロから軽快なギターのフレーズ。
このフレーズは「カリビアン(カリプソ)・ミュージック」的に聴こえます。
「カリビアン」→「カリブ」→「カリブー」。
もしかしたら、このフレーズがもとでタイトルが決まったのかもしれませんね。
そしてシャッフル(跳ねているようなリズムのこと)調のリズム。
リズムが途中で変化し、また元のリズムに戻る。
遊び心満載の楽曲だと思います。
Aメロからボーカルが入ると、さながらコミックソングのよう。
コミックソングとは、滑稽でユーモラスな曲のことです。
Aメロ冒頭で、キーを低いところから高いところへ、まるでゴムを伸ばすように歌う所。
同じ単語を繰り返して使う所。
この曲は、コミックソングで使われる数々のテクニックが、いたるところに散りばめられています。
コミックソングは「風刺」のメッセージが含まれていることが多く、この曲も例外ではありません。
この曲はコミックソングのように見せかけて、実は辛辣なメッセージをリスナーに伝えようとしています。
コミックソング(敢えてこのようにいいますが)を演奏できるのは、演奏技術が高レベルの人のみです。
上に引用した「ハナ肇とクレイジー・キャッツ」。
そして有名な「ザ・ドリフターズ」。
どのバンドも巧みな演奏技術を持っています。
もちろん米津玄師もそうですね!
『caribou』歌詞解説
Aメロ
ねぇ、あなたの言うことは思慮深すぎて惚れ惚れとするわ
教えてよその言葉その哲学の帰る場所について
脆弱だ脆弱だ脆弱だそうやってなんだって情操と節操がないな
いつだって言ってるじゃない素敵な言葉 また唱えて見せて!
出典: caribou/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師
皆さんの周りに頭が良い人はいるでしょうか?
思考回路が一般人とはかけ離れて、緻密にできているかのような人。
そして、言動が高レベルで完璧主義の人。
極めて優秀かと思いますが、第3者から見れば少し奇異に映ってしまいがちです。
そうした人のコミュニケーションはどうなのでしょうか?
一般的に女性は「頭が良い人」を好む傾向があります。
ここではそういったシチュエーションが出てきますね。
「哲学」とは学問の一種の「哲学」という意味の他に、もう一つ意味があります。
それは、「ポリシー」という意味です。
ここでは「ポリシー」と言い換えても間違いではなさそうですね。
「情操(じょうそう)」というのは「複雑なモノゴト」という意味。
そして「節操」というのは、先ほど挙げた「ポリシー」という意味です。
米津玄師は、確信犯的にこの曲を「情操的」に作っていますね~。
Aメロ(2回目)
そうやってまた吐き散らしてさ 堂々巡りもやめにしよう
言葉を杭に打ち付けて見せびらかすのは悪い趣味だ
傲慢だ傲慢だ傲慢だそうやってなんだって証明と論法がないな
ああ、つまり君はもう少し必要なことを知るべきなのさ
出典: caribou/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師
最初のAメロは女性の視点で描かれています。
2回目のAメロは男性の視点に切り替わります。
女性を「小馬鹿」にする男性。
こういう男性は確実に「議論好き」です(笑)
スノップ(嫌味)な男性ですね。
人間、生きていればもめ事は必ず起こる。
それは同性同士でも、異性同士でも起こりえます。
どちらかというと異性同士の方がよく喧嘩するのではないでしょうか?
男女は基本的に身体のつくりからして異なるので、違った考え方を持つのは当たり前です。
それを踏まえたうえでお互いを気づかい、生きていかなければなりません。
この歌詞に登場するような男性は、自分の視点だけでモノゴトを判断してしまう。
頭が良いのとは別問題です。
そんな状況は「よくあること」ですね。
Bメロ
大変だ大変だ険悪だ
甲乙言葉の銃を撃つ
両方が両方を見下すもんだから
二人はいよいよ宙に浮く
言葉の弾丸が落ちていく
ラララ
出典: caribou/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師
お互いが言いたいことを言い、いよいよ喧嘩になってしまったようです。
「甲乙(こうおつ)」とは「優れているものと、それより劣っているもの」という意味です。
よく「甲乙つけがたい」などと言いますね。
本曲中で優れていると見なされているのは「男性」。
「女性」は劣っていると見なされています。
男女の性差(ジェンダー)に「甲乙を付ける」べきではありませんよね。
2番目Aメロ
ねえ、それじゃあなたには言わずにおいた事教えてあげるわ
その子供みたいな角、もう情けが無いったら仕方ないのよ
貧弱だ貧弱だ貧弱だそうやってなんだって情操と節操がないな
笑えてくる!どうしようもないのね アルコールにでも漬けてみたらどう?
出典: caribou/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師
ここが『caribou』の聴きどころです。
楽曲中の男女は「人間の男女」かと思いきや、実は「caribouの男女」だったのです。
それは「子どもみたいな角」という歌詞で分かりますね。
ですが、肝心なのはこの曲が「人間同士の争う姿を滑稽に描く」のがメインテーマだ、というところです。
だとするとこの男女を「caribou」と推測するのはおかしいのではないでしょうか?
「角」というのは比喩で、米津玄師は「男性が怒っているさま」をそう例えたのかもしれません...。
「角」=「怒り沸騰中の男性」に対して女性は「アルコールにでも漬けてみたら」と応戦します(笑)
女性は「男性を酔わせて」議論で勝つつもりなのでしょうか?