主人公がお酒を楽しむ場として選んだのは、縄のれんのかかるお店。
その入り口の様子から、ネオン街や町の片隅にある古びた小さな飲み屋を思い浮かべます。
日の高いうちから飲むのではなく、また夜中に店に寄るのでもありません。
夕方、仕事を終え一息ついたころに一人でふらりと縄のれんをくぐるよう。
カウンターに座れば、板前さんを前に飲むことができます。
板前さん相手にべらべらとしゃべるのは、男の流儀にはあいません。
必要な会話を最小限だけ交わしながら、好きな肴をあてに手酌で一杯。
仕事の愚痴や、家庭のあれこれをお酒の力でぶちまけるなんて野暮の骨頂。
辛いことや理不尽なことは、この手酌酒でするりと流してしまうのが「男」です。
恋は真剣に
恋は本気で 想うもの
惚れたはれたと 騒ぐなよ
激しく燃える 恋もあり
巷で忍ぶ 恋もある
女は心を 込めて抱け
どこで咲いても 花になる
出典: 男の流儀/作詞:石原信一 作曲:中村典正
ひと昔前であれば...。
恋愛についてあれこれと周りに言いたがるのは女性の方。
男性はどちらかといえば、自分の気持ちや、恋愛の進捗について語ることは少ないものでした。
SNSが発達した現在は、男女ともに自分の状況を発信する機会が増えています。
従って、男女問わず恋の状況や自分の気持ちなどを赤裸々に周囲に公開することも珍しくなくなりました。
公開している人たちの気持ちはさておき、恋とは自分の心と向き合うことが重要です。
相手をしっかりと見つめ、心を決め、そしてそれを継続すること。
それら一連の作業は、あくまでも自分一人の心の中で行うもの。
誰かに相談したり、誰かの恋と比べたりするものではないのです。
自分の中で思いを育て、大切にすること。
男の流儀において「恋」とはそのようなものなのです。
自分の心に、そして相手の心に敬意を払う
男が女を愛するとき。
それは、ちょっと気になるとか、うまく行けばお付き合いしたいとか。
そんな軽いものではありません。
本気で気持ちと覚悟を決めることです。
情熱的にそして短期的に燃え上がるような恋。
人知れずひっそりと進んでいく恋。
恋の形はいろいろあれど、そこに挑む気持ちが本気であればそれらに貴賤はありません。
どんな関係であっても、お互いに「この人」と心に決めたなら、それを受け止め本気で愛する。
軽々しい気持ちや、その場の雰囲気に流される恋なんて、相手にあまりに失礼です。
そして、そんな軽い恋をしては自分自身も貶めてしまうもの。
男の流儀に従えば、恋とは心を決めることなのです。
ルーツについて
人はふるさと 離れても
お国なまりが ついてくる
夜雨に打たれ つぶやけば
まぶたに浮かぶ 田舎駅
親からもらった この命
熱い滾(たぎ)りが 俺を呼ぶ
出典: 男の流儀/作詞:石原信一 作曲:中村典正
誰にでも産んでくれた親があり、故郷があります。
いろんな理由で離れていたとしても、それはやはり自分のルーツ。
故郷について、男の流儀はどのようにとらえているのでしょうか。
身体に染みこんだもの
学校への入学や、就職を期に故郷を離れることがあります。
未来への希望でいっぱいの若かりし日には、その故郷について振り返ることは少ないでしょう。
故郷を離れ、頼る人のない場所で暮らす子を案じる親の気持ちについて。
それを慮る余裕は、若いころにはありません。
少しづつ成長し、責任感を持ち、年齢を重ねるにつれて、親や故郷の有難みが身に染みます。
故郷の思い出や、親と暮らした日の記憶が遠ざかるほど、なぜか記憶は鮮明に。
現在の自分がここにいるのは、辿っていけば故郷があるから。
そして、親が存在するから。
男が男として生きる上で、自分のルーツは自分そのものなのです。
基本にあるもの
普段の会話の中では、標準語や今現在住んでいる地域の言葉を話します。
しかし、ふと何かをつぶやくときや、とっさに出た言葉。
それは、懐かしい故郷の言葉が出てしまうことがあるでしょう。
そして、その言葉を共有していた懐かしい故郷の人達のことを一緒に思い出します。
仕事や、社会の中でどうしようもないほど疲れたとき。
あがくことさえ、どうして良いのかわからぬほど身動きが取れない状態のとき。
男は故郷を思います。
そこで守られ、大切に育てられた幸せな日々。
故郷の記憶は慰めとなり、また支えとなって心に満ちていくでしょう。
親は子を育み、命をかけて愛してくれました。
その愛が、自分の血肉を作り、その熱い心を作ったのです。
遠く離れた故郷に思いを馳せながら、男は我が流儀を貫くのです。